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悲しいときに、心が元気じゃないときに

悲しいときに、心が元気じゃないときに、誰か同じ人はいないだろうかって、探してしまうことがある。

友達の中にはいなさそうだし、実際に会いたいかって言ったらそういうことではないから、web上の、同じ言語を話す、誰か知らない人で、そんな人はいないかなあって。砂つぶの中から宝石を見つけるくらいそれは難しいことで、結果としてあんまりピタッとくることはなくて、結局自分のその元気のなさにまた一人で向き合うことになって、「あーあ…」って思ったらもう夕方になってしまう。そんな休日は、休日なのに休んだ気にもならなくて残念な日になってしまうね。

それでも地球は、今日も回っていく。

私が、あなたが、悲しいとか、辛いとか、寂しいとか、怖いとか、そういうのも全然関係なく。

理由こそ違えど、どこかの誰かが必ずどこかで、今日も涙を流したりするのかなと思うと、全然他人でも、大丈夫だよって抱きしめてあげられたらなって思うのは、多分私も誰かにそうしてほしいからなのかもしれない。

昨日、京都に行った時にどこかカフェに入りたくて、でもガヤガヤしているところは嫌だなあなんて思っていたところにたまたま出てきたカフェがあった。

表向きからは何屋さんかわからなくて、入ってみたらお菓子も売っているパン屋さんだったんだけど、いくつかパンを選んで、お茶だけ飲んで帰ろうかなってカフェスペースに入ったら、そこはだれかのお家のリビングのような雰囲気。お客さんは私一人。中庭が見えて、無造作に曲がった植木が見えて、それがとても美しかった。

ホッとするなあって思っていたら、お店の店長さんが、「これ、もしよかったら食べてくださいね。お腹いっぱいやったら持って帰ってください」ってマフィンを出してくれた。ちゃんと商品として売っているものを、食べてねって、友達のお母さんが出してくれるおやつのように。私の心がなんとなく悲しいことを察したかどうかわからなかったけど、こんなに初対面の人に優しく包んでもらったのはいつぶりだろうって、胸がいっぱいになって、結局マフィンは全部食べきれなかった。


自分の心が辛くなった時、いつも思う。「人には優しくいたいなあ」って。

日記みたいなブログ、ポエム調なブログはどうやらそんなに人気はなさそうだけど、でもそれでも、私が元気じゃない時にwebでだれかを探すように、だれかも探すかもしれないから、「ここに同じように悲しい気持ちの人がいるよー」って、記事を一つ落としておこう。小瓶に手紙を入れて、海に流すような気持ちだなぁ。

元気じゃないときは、元気じゃない自分のことも、とことん大切にしよう。

悲しいときは、思い切り、気が済むまで、明日の自分がブスでもいいから泣いておこう。

今日悲しかったことは、今日中に処理しなくてもいい。

だって仕事じゃないんだもの。

無理に元気にもならなくていい。

誰かに当り散らしたっていい。

ムスッとしてたっていいじゃない。

少しずつ、時間が処理をしてくれるのを待って、いつか忘れちゃえばいいよ。


悲しいのは世界で自分だけじゃない。どこかの誰かも悲しいよ。

しばらくとことん、沈んでみよう。

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