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オリンピックで初めて「ブレイキン」「ブレイクダンス」が紹介された瞬間~1984年閉会式席上

オリンピックで初めて「ブレイキン」「ブレイクダンス」が紹介された瞬間~1984年閉会式席上
 
【The First Time “Breakin” Was Introduced At Olympic : 1984 Clothing Ceremony】
 
ブレイキン。
 
今年のパリ・オリンピックでは、「ブレイキン」という新しい種目が注目を集め、日本人アスリートたちが次々とメダルなどを取っている。
 
これは、本ブログの読者であれば、すでにご存じだと思うが、元々ニューヨークのブラック・カルチャーのひとつとして1970年代中期から広まってきたものの発展形だ。
 
「ブレイキン(ブレイク・ダンス)」、「グラフィティー(壁画など)」「ラップ(リズムにのるおしゃべり)」「スクラッチ/DJ(レコード盤をこすって音を出す、ビート部分だけを繰り返すなど)」などの要素を総称して「ヒップ・ホップ」と呼ぶようになった。「ブレイキン」、「ヒップ・ホップ」は完全にストリート(街角)からでてきたカルチャーなのだ。
 
それが21世紀になって、特にアジアやヨーロッパなどに広まり、アメリカ本国よりも、世界の他地域のほうが競技人口が増えた。
 
今回のパリ・オリンピックの「ブレイキン」種目などを全部見たわけではないが、ブラックの選手よりも日本人、ヨーロッパ人の選手の方が大活躍していて、それはそれで嬉しいのだが、ちょっと不思議だった。
 
そんな中、ヒップ・ホップに発展当初から書いてきたブラック・カルチャーのジャーナリスト、ネルソン・ジョージがフェイスブックにさきほどこんな文章を寄せていた。
 
「It amuses me to see all the disappointed commentary about breakin' in the Olympics. It's clear most people haven't been playing attention to the dance for several decades. Aside from a small community in the US, breakin' has been taught, celebrated and institutionalized in Asia and Europe for years. There actual schools for it in France and elsewhere. In contrast try to find breakin' in a video or concert performance by an hip-hop artist under 40 in the last 25 years. As black folks do, we create and move on. The best breakers I've seen in the 21st century have been Korean and Japanese. By the way old school American dance legends of this style make money teaching overseas. A few are actually serving as coaches for Olympic competitors. So what folks are seeing is an pretty accurate representation of the state of the art.」
(Nelson George facebook, 日本時間2024/8/10 20:01の投稿)
 
(大意)「アメリカでパリ・オリンピックのブレイキンに関して、失望したという意見を見て驚いている。多くの人々は何十年もの間ダンスというものに、まったく注目してこなかった。アメリカの小さなコミュニティーを除いて、「ブレイキン」は、アジア、ヨーロッパなどで人々に教えられ、祝福され、スタイルとして確立されてきた。(中略)私が、21世紀のベスト・ブレイカーズ(ブレイク・ダンサーズ)として見ているのは、韓国と日本のダンサーだ。オールド・スクールのダンス・レジェンドは海外で教えて稼いでいる。オリンピックの選手のコーチもしている。今、見ているものは、最先端のものなのだ」
 
アメリカでこうしたオリンピックでの「ブレイキン」がどう受け入れていたかは知らなかったが、ネルソン・ジョージが前向きに見ていてくれるのは、とても心強い。
 
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そんな中、「ブレイキン」がオリンピックで紹介されたのは、今回が初めてではない、という記事がこちら。
 
Breaking's 1984 LA Olympics debut: The untold story before Paris
By Danielle Chiriguayo Aug. 09, 2024

 
1984年のロスアンジェルス・オリンピックの閉会式でライオネル・リッチーが前年からの大ヒット「オール・ナイト・ロング」を歌うところで、バックに多数のブレイク・ダンサーたちを従えて、披露した。
 
1970年代中期からDJクールハークによって始められたブロック・パーティーを発祥とするヒップ・ホップ・カルチャーは、1979年のシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」とファットバック・バンドの「キング・ティムIII」の初のラップ・レコードの大ヒットによって、一挙に音楽業界に知られるようになった。その後、ランDMCなど多くのスターが登場、また、1983年の映画『フラッシュダンス』などでもブレイキンが紹介され、ちょうどこの1984年の時点ではそれまで発祥の地ニューヨークの色の濃かった地域文化がウェストコースト(西海岸)にも広まっている時期でもあった。
 
そのときのライオネル・リッチーの「オール・ナイト・ダンス」のパフォーマンス。
 
Lionel Richie : All Night Long (9:44) 1984 Olympics Closing Ceremony

 
そのロス・オリンピックからちょうど40年、閉会式で魅せられた「ブレイキン」が、パリのオリンピックで競技種目のひとつにまで育ったということはひじょうに感慨深い。それも、もともとニューヨークのほんのちょっとした街角(ストリート)で段ボールの上でくるくるまわることなどから始まった「ブレイキン」「ブレイクダンス」が世界の人々から注視される「国際的な」オリンピックの一種目になったのは快挙といえば快挙だ。
 
ロス五輪で初めて世界に紹介された「ブレイキン」が、その40年後、パリで初種目となりそこから次の開催地ロスへ再びバトンが渡される。しかし、その「ブレイキン」、次回オリンピックでは演技種目にはならないという。なぜという思いが募る。
 
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