虚時間跳弾

汚れた手の、指紋が擦れて消えた人差し指がトリガーにかかる。指の筋肉に僅かずつ力が込められ、ついに臨界点を迎える。撃鉄が一瞬で自らの役目を果たし、火薬が弾け、銃弾が勢いよく押し出される。
床では、怯えた男が尻もちをついている。男は目を剥いて、相手の銃口に釘付けになる。
銃口は過たず、男のあばただらけの眉間に向いていた。

ここは古びたアパートメントの三階の角部屋。

隣の部屋では、洗面所で偏執的なほどに手を洗う女がいる。つい先程、隣部屋に住んでいる男に手を握られ、その手についていた泥で汚れてしまった。
先月に越してきたこの男には本当にイライラされられる。このフロアにはいくつも空き部屋があるというのに、わざわざ私の隣の部屋に住むとは。

女の耳に銃声が届くのは、もうほんの一瞬あと。

下に向かうエレベーターが三階を通り過ぎている。四階に住む少年が気だるそうに、エレベーターの壁に背中を預けている。
少年は三階の角部屋のなんとかいう人が嫌いだった。こんなところに住んでいるくせに理屈っぽくて頭がいい。

少年の耳にはまだ銃声は届かない。

男と女が階段を駆け上がっている。
男のスーツからは水が滴り、足元では裾も革靴も泥にまみれたまま。女はゴシックパンク姿で、短く切った髪からは泥水が滴っている。
女は画面のひび割れたスマートフォンに向かって怒鳴り声をあげる。
男の手には銃が握られていた。

たとえ銃声が届いても二人の足は止まらない。

アパートメントに面する道路にブレーキ痕がある。その先端にはフロントグリルとバンパーが傷だらけのパトカー。昨日の夜半に降った雨はとっくに上がったのに、タイヤとその周りは泥にまみれている。
乾きかけた泥がこびりついたドアから、四十がらみの太った警官が慌てて降りようとしている。
こんなことになるのなら、あの東洋人の通報にもっと真面目に対応しておくのだった。

銃声など聞かずとも、警官はすでに銃に手をかけている。

【続く】


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