見出し画像

記憶だけに頼りたい。


おっしゃれーな写真を撮ってInstagramに投稿するのも素敵だけど、もっと本格的な、これぞ写真だと言えるような自分だけの写真を撮ってみたい。そうだ、カメラを始めよう。スマホだけじゃ物足りないから一眼レフとか使っちゃったりして、そんでどうせなら、外出するたび首に引っかけちゃったりして、いかにも写真家、な雰囲気も味わってみようか。よっしゃあやったるぞ、まずはカメラだ! うっひょひょい!

と、決心してはや3年。未だカメラには手をつけていない。それどころか、カメラを買うお金にも、使う時間にも余裕がない。何かを始められない理由としてお金と時間とは答えたくないけど、そう答えるしかない。結局のところ、こうしてお金と時間を言い訳に使っている時点で、僕にとってのカメラに対する熱意はその程度だったのだ。


こういうことがしょっちゅうある。
僕は外部の影響を受けやすいことに加え、飽き性ゆえに自分の触れる分野に制限を設けず、次から次へと新しいものに興味を持ってしまう。そしてこれもまた飽き性がゆえに冷めやすく、よっぽど興味がないかぎり「これやろ!」と決めた数分後には、もう楽しんだ気になって、すぐに飽きてしまう。子供用プール並みに浅く、北海道並みに広く、コーヒー並みに冷めやすい好奇心。飽き性の人ならきっと分かってくれるはずだ。


しかしその好奇心は自分のハマっている分野に関しては無尽蔵に沸くもので、決して信用できないというわけではない。そのおかげでこうしてマンガやら小説やらアイドルやらを長年深く追いかけられているのだから、この時折出現する貪欲さを含んだ好奇心の存在はありがたくもある。ただ、あまりにも多くのものに手を出しすぎて、どれも中途半端、なんてことは極力避けたい。


それで今日ふと、そういえば何でカメラをやろうとしてたんだっけな、と自分の好奇心を見つめ直した。


で、思い出した。たぶん、誰かしらの芸能人のインタビューか何かで、「趣味がカメラ」みたいな項目でも見て、そのおしゃれさに無意識に影響を受けていたんだと思う。自分の単純さに笑ってしまうけど、僕はそんなパッと見で読んだ記事の一部だけで興味を持ってしまうらしいのだ。これならいざ始めたとしても、きっと長続きはしなかっただろう。


というか、3年前はどうだったかは覚えていないけど、今の僕は写真自体そんなに好まない。いや、厳密に言えば、表現としての写真は好きだけど、記憶に留めるがための、自分に都合のいいように撮った写真をあまり好まない。要は、思い出のために撮りたくはない。そして撮られたくもない。いかにも幕末の志士とかが抱きそうな感覚である。


これは、ハロルド作石さんの『RiN』という作品の主人公 伏見紀人のライバルである天才漫画家 瀧カイトの影響をバリバリ受けている。


見ているものが自分にとって本当に素晴らしいものなら、写真に撮らなくても体が覚えているのだ。


覚えていないけど、その密かな信条を忘れるくらいなのだから、そのインタビューを受けていた相手は、よっぽど僕が夢中になっていた相手なのだろう。


さては坂道グループの誰かだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?