文章。

10個目の記事になる。

9個記事を書いてみて気づいたことだが、自分は文章を書くことが嫌いではないようだ。特にスケジュールや仕事が詰まっている時に書きたくなる。追い詰められれば追い詰められるほど脳がフル回転するのかもしれないし、あるいは自分にとって現実逃避の行為の一つが「書く」ということなのかもしれない。いかにも物書きっぽいことが言えたので鼻を膨らましている。現実はただの23歳学生。周りは働き始めているというのに。いや、5年後には社会に貢献している予定だから許して欲しいと言い訳をする。僕は昔から自分に甘い。

最近、家の倉庫で1冊のノートを発見した。小学校のころの宿題で、週に1回日記を書いて提出するというものだった。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、起承転結の文章パターンが今と全く同じであった。昔から似たような思考回路で、似たような生活で、似たような人間関係を繰り返しながらここまで生きてきたのだろうか。人間、そう簡単には変化しないものだ。10年後も20年後も大枠は変わらないのだろう。

だが、昔と違って「自分とは何だろう」と考えるようになった。そう深くて難しい、哲学的なことを考えているわけではなく、シンプルに自分の長所と短所を振り分け、それぞれをこれからどう活かすかを考えているぐらいのものだ。「俺、成長してんじゃね?」とまた鼻を膨らます。自分に甘いという点はマイナスだが、自己否定をし続けるよりはマシなのでプラス。いや、この考え方が自分に甘いのだろうか。思考は堂々巡りをしている。

「文章を書くことがストレス発散になる」という話を友人や親にしたことがある。全員「普通はストレスが溜まるねん」と返答した。確かにその通りだと思う。その感性は正しい。仮に眠っていた才能が開花し、文才で溢れたカルテを作る能力を身に着け、他のドクターを感動の渦に巻き込んだところで一銭にもならない。世間は意味のないことに厳しい。

「文章を書くことが好き」という点は長所なのか、短所なのか。結論が出るほど書いていないので、細々と続けたいとは思う。

いや、多分本心は書きたいだけだ。

1週間に1記事は書こうと決めていたのに、1ヶ月放置していた。ごめんな自分、すまんな自分、おかえり自分。

僕は自分に甘い。

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