卵と壁。

「卵と壁」というスピーチをご存知だろうか。

作家・村上春樹がエルサレム賞の授賞式で発表したスピーチである。当時ガザ地区で激しい内戦が繰り広げられていた中でエルサレムの地を訪れた、と言う報道で記憶されている方もいらっしゃるかと思う。実際、当時の記事を見ると賛否両論があったらしい。

スピーチの原文全文は割愛させていただくが、今回は強く印象に残っている部分を紹介させていただきたい。

簡単な挨拶、小説家としての想い、エルサレムの地に来るまでの経緯を話した後(本当はこの部分もとても面白いのだが)、村上春樹は「個人的なメッセージを話すことを許して欲しい」と前置きし、作品の根底にある自身の信念を話す。

Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.

訳を付けるとすれば、「高く固い壁と、それに当たって壊れる卵の間にいる時、私は常に卵の側に立つ。」となるだろうか。あえてalwaysという単語を使うことで“常に”、すなわち“どんな時でも”と言うことを強調している点も流石だなと思う。スピーチは次のように続く。

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg.

「そうです。どれほど壁が正しくても、どれほど卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。」

この後、村上春樹は壁=システム、卵=私たちとして論を展開し、自身の父親のエピソードを交え結論を結びにゆく。では、村上春樹の言うシステムとは何なのか。その点についてもスピーチ内で言及されている。

The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.

「システムというものは、私たちを守るものだと考えられている。だが時折、システム自身が自分の意思を持ち、そしてその時それは私たちを殺し、私たちが他人を殺す原因となる。冷たく、効率的に、そして機械的に。」

教育システム、社会システム、システム科学…システムには様々なものが考えられるが、村上春樹は当時のエルサレムに赴きこのメッセージを発することで、「つまらないシステム(国家)のせいで日々命が落とされている状況」に警鐘を鳴らそうとした、と想像するのは間違いだろうか。

そして、いくら論理的にはシステムが正しくともその状況は決して正しくはないーシステムを作る側だった私たちが、今ではシステムに潰されているーそう解釈するのは考えすぎだろうか。

厳しい現実を告げた後、それでも壁=システムに卵=私たちが勝てる可能性があると言う。

If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together.

「もし私たちに何らかの勝てる希望があるとすれば、それは私たち自身と他人の魂の完全な固有性と唯一性を信じ、そして共に魂を分かち合う事で私たちが得られる暖かさから来るに違いないだろう。」

私たちの魂、人生は一人一人別々で唯一無二のものである。それを共有することで-それは人間である私たちにしかできないこと-システムを正しい方向へと導くことができるのではないか、というところだろうか。

恋愛描写ばかりに焦点が当てられがちな村上作品であるが、生死や命をテーマにした作品も多い。今一度読み直してみよう、と改めて思う。

10年後、私は卵の側に立っていられているだろうか。

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