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昭和平成令和の働き方とその後

社会に出て初めて入った会社は、電気メーカーのグループ会社。半導体の世界独占企業でした。小さいながらも利益は全国のトップクラスだったらしく、テレビゲームが出たときの任天堂よりも利益が出て納税額が凄かったらしいです。モノ不足で価格が騰がりインフレが起きていました。

私が担当したのはがメモリーという半導体の中心的な部品。世界初のDラムは人類の発展の第一歩だと言われ、出荷第一号のチップを工場に取りに行きました。郊外の工場で白衣を着て検品に立ち会い、それががテレビに紹介されたのを今も覚えています。小さな部品が入った段ボールを顔の高さに上げてニコリして写真に撮られました。1980年代初頭のことです。ジャパンアズナンバーワンと言われた時代です。戦後が完全に終わり高度経済成長のあとの安定成長期とのちに呼ばれる時代です

世界初のワープロが会社にあり使いこなすのに苦労しました。大きなミシンみたいなその機械に悪戦苦闘。タイプライターは英語なので日本語で印刷できるワープロは画期的だったのです。しかし大半の業務は帳簿を手書きでつけ、カーボン複写で請求書をやりとりしていた時代のことです。電話は黒電話で電話交換手が応対。偉い人には必ず秘書や運転手がついていました。社内では、どこでもたばこが吸えて、朝、昼、3時のお茶くみという仕事がとても楽しかったのを覚えています。

それが40年後にテレビ電話もできる携帯電話を全社員が持ち、自宅で働き、目が飛びでるほど高かった国際電話がタダになり、地方の支店とオンラインで会議ができ、お財布も持たずに電車やバスに乗り、24時間いつでも買い物できる世の中になっているなんて誰が想像したでしょうか。スマホで振込み、仮想通貨の給与なんてSFみたいな世界に突入しています。

昭和から平成にかけてのサラリーマンは、22歳で会社に入り、20代には借り上げ独身寮で仲間と休日はゴルフ・パチンコと釣り。30歳で主任になって独身寮から出て結婚。結婚して家族で社宅に入る。36歳で係長。子どもができて35年ローンでマイホームを買い、会社帰りに居酒屋に寄りそのあとは部下とカラオケ。何度も転勤を繰り返して40歳で課長になり管理職になり残業代がカットされてちっょと経済的にきつくなります。50歳で部長または支店長。子どもが独立して60歳で定年。定年後はグループ会社の顧問となって悠々自適に暮らす。こんな昭和と平成のサラリーマンは絶滅危惧種かもしれません。今は年金も莫大な退職金も今はそんなに貰えないし、年功序列で上がれないので誰もがドキドキしながら令和時代は、40代を迎えてしまうのです。

私の40年でさえそんなに変化しています。だからこれからの20年はさらに変化します。以前と大きく違うのは、新人が毎年大量採用というのがなくなることです。団塊ジュニアの50歳が退職するあと10年後は日本はとんでもない人材不足に陥ると思います。ロボットやAIの活用こそ生き残りと成長のカギ。

働く側もヒトでなければならない知識やスキルを身に着けなければいけないと思います「ラクして自宅で」というコロナ禍でできた新しい価値観。それをずっと続けていけるのは20代でチャレンジした人だけ。利益を出していないとこれからは他国のようにに部署ごとカットという時代も来ると思います。20代のうちに生産性をあげて稼げるヒトになってあとからラクしてください。デジタルやロボットは私たちが使いこなす時代になりました。

家事も劇的に変化して女性をサポートしてくれます。一番有難いのは洗濯機。全自動洗濯機と食洗器って考えた人スゴイ。さらに掃除も革命が起こりました。一号機から愛用している留守中に人工衛星とつながって部屋をキレイにしてくれるお掃除ロボット「ルンバ君」。可愛すぎます。さらに「お風呂が沸きました」的な給湯システムは、寒い土間で薪でお風呂を焚いていた亡くなった母に教えてあげたいです。新しいテクノロジーを使いこなし、増えた時間を楽しみたいです。


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