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20代前半は生き急いでみてもいい

人生の最初の大きな転機は学生から働くようになった4月1日だと思います。我が家はさして裕福でもないサラリーマン家庭。家計から無理して学費を出してもらい、将来役に立たなそうな授業を受けていた学生という日々から抜けだせて就職したのはともて楽しい経験でした。給料というお金を定期的に貰えてかつ人間的なことも含めて成長させてくれる会社という組織に所属できて日々、生きているなという実感が持てました。

当時の女性の就職は腰掛けそのもの。花嫁修業の延長線上にOLがありました。同期の友人はみんな寿退社でした。就活を頑張ったという感慨もなく4月1日を迎えたのを覚えています。入社式前日の3月31日は父の誕生日でした。その夜に同居していた祖母が自宅で亡くなったので入社日がお通夜、翌日が告別式に決まりました。当時は斎場もそれほどなかったので自宅で葬儀が行われました。入社式から早退する人はあまりいないと思います。18時からお通夜のために14時頃会社を出ました。

入社式の日は月曜日だったので電車が余りにも混んでいて、ホームに降りるのもホームから電車に乗るのも大変。ドアごとにいる背中を押してくれるお兄さんに全身で押して貰ってドアが閉まってやっと乗り込めました。あまりにも混んでいて酸欠になり息苦しかったのです。こんなんじゃ背骨が折れそうだから明日からは、朝早く家を出て下りのホームから電車に乗って2駅先の始発で座ってから通勤しようと決めたことだけは良く覚えています。日本で一番混んでいた常磐線の朝のラッシュは今考えても驚愕でした。初日の朝から洗礼を受けました。

この満員電車の通勤も含めて働くって新しく知ることだらけでした。こんな満員電車通勤を長年やっている父って偉いなと思いました。たった1万円を稼ぐためにはいろんな人のいろんな苦労があることがわかりました。

私が入った会社はグループ会社合わせると800社くらい。なので鉛筆1本、封筒1枚ムダにしないという社風でした。会社の家賃や電気代、文具代、コピー代。いろんなものの原価を新入社員の時代に教えてもらってよかったです。なぜ給料の3倍は最低稼ぐべきなのかを教えてもらったことが今も役にたっています。手取りは月に10万を切っていましたが「勉強しながら25日に毎月決まって給料が貰える」という事実は人生を楽しくさせてくれました。

「働く」とか「稼ぐ」ために自分が何ができるのかを気づけないと、いつまでも9時からパソコンの前に座っていてお金を当たり前に貰えると思っているだけの人になってしまうかもしれません。この当たり前が続くと自分の頭で考えないようになって少しの変化もやたらと過敏に反応する人になってしまうこともあります。

これからの時代はもっともっと自分の頭で考えコトが求められます。つい最近までマニュアル通りで動く人を優秀だと言われていた時代がありました。でも変化しながら頑張ってくださいね。読んで頂きありがとうございました。渋谷は109とデパートは閉まっているのにドン・キホーテとH&Mとヤマダ電機はいつもよりも混んでいました。不思議でした。

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