「泣き面に蜂」にならないための生き方
泣き面に蜂とは不幸や不運が重なってしまうことの例え。不運は晴天の霹靂でも、不幸には予兆があります。例えばコロナ禍を不幸とか不運と思ってしょうがないので全て受け入れるしかないし、感染拡大予防のために公私ともどもそれぞれできることをしながら暮らすしかないと思っています。まずは日々健康的な暮らしをしてな免疫をあげておくようにしたいと思います。
今日、昭和の喫茶店の朝のモーニング仲間、オフィスのビルの大家さん。70代の奥様と出勤しました。大家さんは数年前最愛の旦那さんを亡くされていますが、周囲に感謝しながらニコニコと暮らされていてとても穏やかで幸せそうです。幸せそうに暮らすことが大切だなって彼女を見て思います。
私は30歳前に周囲に感謝していればほとんどのストレスは軽減すると気がつけて本当に良かったです。戦争が終わった平和な時代に生まれ、自由で穏やかなこの国で暮らし、毎日食べるものがあり、そこそこ貧乏ではあったが温かい両親に育てられ、何よりも還暦になっても好きなことをさせてもらっていることは本当にありがたいこと。なので人から見たら可愛そうな鼻が低くて、エラが張っていて、賢くなくて何よりスタイルが悪すぎとはいても、それほど不幸ではないのだと気がつけました。
不幸も不運も挙げるとキリが無いので、自分はそこそこ幸せでありがたいと思ってくらすだけで人生が大きく素晴らしくいいのにと思います。だから「泣き面に蜂」にならぬよう日々から備えておけばいいのです。
仕事も人生も自分の考え方次第。悲しいことばかり考えしてしまうのは性格ではなくてそうゆうものばかりに触れてしまう思考のクセ。例えば斜陽になりそうな産業があっても「好きだから」とか「面倒だから」とそのまま動かないと必ず後から大変なことが起こります。何かあったら早めに対処しないクセがそうなっているのだと思います。全てのコトは自分が起こしていることだと思うと「泣き面に蜂」みたいな状態は防げます。
幸せになってください。そして穏やかな週末をお過ごしくださいね。読んで頂きありがとうございました。
このコロナのなかでも他の国とは圧倒的に少ない感染者でいることはお互いが節度を持ち医療従事者の方が踏ん張ってくれているお蔭。願わくばコロナ患者様を受け入れてくれている医療従事者の方に一律の補助金をと願わずにおられません。頑張ってくれて有難いです。