人生一度きり。母が突然亡くなった日から実感できたこと
人生一度きり。命に限りがある。これを実感している人はとても少ないと思います。20代で母が突然亡くなってから「人は死ぬんだ」「若いときって短いんだ」を数年かけて受け入れたような気がしています。北関東出身の質素で朴訥。誰かの誕生日にはお赤飯を炊いて自分で届けるのが趣味の母。最大の味方にして最大の分身がいなくなり途方にくれました。
家族との別離。特に母親との永遠の別れはなかなか耐え難いものです。そして母を亡くしてからはじめて「自分の力でいきていかなければ」という気持が芽生えました。母が居間で亡くなった。この報せが衝撃で、かつ突然過ぎて母の死が認められず、雲の上で過ごしているような気分。もやもやとした寂しさを抱く日々を救ってくれたのは目の前の仕事でした。
当時は人生最大にして多忙で、自分の能力の無さに苦しんだ時期でもあります。母が亡くなった喪失感を仕事で必要としてくれている人がいるという事実が埋めてくれました。会社のチームのみんなとは24時間一緒なのでいつの間にか家族のような同士のような気持ちが生まれ、孤独感からも癒されていったのです。
人生で一度くらい「これ以上できない」「これ以上無理」というほどに仕事に打ち込むが時期が20代から30代前半にあってよかったです。やってもやっても終わらない。やってもやってもトラブルが起きる。やってもやっても満足しない。寝る時間なんて記憶にない、テレビも全く見られないウルトラマラソンみたいなあの数年間があったから大概のことは「なんとかなる」と量などにパニックになることが全くないのです。同時に量をやることで人の力を借りないとどうにもでないとという謙虚さも生まれました。
多忙だったり自分の能力では難しいと思う仕事が来ると「ここから逃げ出したい」と思ってしまう気持ちは理解できます。裏を返せばそんな体験はなかなかできないもの。それほど任せてくれることを意気に感じそれを乗り越えた先に「あれなんだったの?」くらいに気持ちが抜けるときが必ずくるのです。
現代は「仕事をそれぼどしてはいけない」とか組織が大きくなると「違う部署の仕事だから口を出してはいけない」という風潮が生まれています。確かに過剰な負荷はいけませんが過剰な期待は応えようと頑張れるもの。過剰な期待をされるとその分意気に感じられて成長できるもの。
周りに期待してくれて任せてくれる人がいるから頑張れます。「ウイアーザーラクしよう」という人に囲まれているのは一見のんきかもしれませんが、50過ぎたらどうなるのかという不安もあります。人生は一度きり。そして成長できる時期は人生で短く、すぐに過ぎてしまうのです。
コロナ禍でリモートワーク。自分を見つめ直すいい時期ですよね。「仕事を通じて誰かに必要とされることがあるのは人生の幸せの一つ」だと思います。ぜひ幸せになってください。読んで頂きありがとうございます。
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