私って誰?実は「ま・ぼ・ろ・し!」by 空海
私って誰?結局「私の世界」って幻なの?
「哀しい哉 哀しい哉
哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 復 哀しい哉」
空海の言葉は人の世は哀しみに、満ち溢れているようにみえますよね?
で、この
かなしいかな、かなしいかな、あわれが「中」のあわれなり。
かなしみが「中」のかなしみ。最後は復=また、哀しいかな。
っていってるのね?
この「中」が、マイナスでもプラスでもない心の在り方
私たちは子供のころから「ポジティブ信仰」に毒されているって思いませんか?
最近ではポジティブ思考が、日本人の性質にあまりフィットしないという
観点もありますよね。
日本人が、とつけたのは、どこかの調査で中国やアメリカの人々に比べて、日本人は「自分に自信がない」という点で世界最低点だということでも、わかります。
中国やアメリカでは、50%ぐらいの人が自分に自信を持っている。
けれども日本は17%だったかな?
ともかく自己評価が低すぎる、ということが話題になりました。
自己愛が、足りなすぎ!
私がやっている写経塾では中庸という、「プラスでもマイナスでもない状態」を書くことで感じる体験をしていただいています。
漂う雲のように「自我」を薄くしていく。
意識をぼやかして、「あたたかい光」のようなエネルギーの中に溶け込んで
いくような気持。
書くことに集中して、自分のことを一時忘れてしまうような「書く瞑想」として般若心経を1巻書く時間を使います。
書きなれている方は40分ほど、初心者でも1時間ぐらいで書き上げることができます。その間は静かに普通の呼吸をして、漢字に集中しています。
頭を空っぽにして「何かを思い出したり」「自分はダメダメ」なんてことは考えません。
ただただ漢字を目で追って書く。
なかには「空」「無」という漢字が、何度も出てきます。
意味は解説書で、自分の好きな意味を勉強するのも良いし、知らなくても構いません。
知らない方がスッと心に、温かいものが入ってくることもあります。
言葉の持つ「霊」が「こだわったりすることはありませんよ」
「悲しんだりする必要はありませんよ」
「宇宙のエネルギーがここに転写していますよ」と頭の中に入ってきます。
心の中に沁みて広がってきます。
私は最後の18文字までを讃える言葉「感謝のお経」と思っています。
良く知られる最後の「ぎゃーてーぎゃーてー」には意味はありません。
というよりも、仏教者ではないので「おまじない」と捉えています。
「最高に強力なおまじない」。私は私であってもいいし、私でなくてもいい。エネルギーとしてここにあるだけ。
集合的無意識の大きなエネルギーの一部でもあり、そのすべてでもある。
マイナスでもプラスでもなく、ものさしがない状態を受け入れています。
という状態かな?
無理をしなくても、人って前を向いていきますから、無理をしない程度の
プラス思考を持っていて、過去のことをクヨクヨ悩む必要がないことを
知っている。
プラスとマイナスの均衡がとれていて、ニュートラルな状態を「中庸」いいます。
文字の持つ「霊」がこのことを教えてくれる。
書くことで、知らない間に瞑想状態のシータ脳波がでるの。
文字の言霊を書いて「真言の智慧を讃え感謝する」ことで、自分を発見して、幸せな心の状態を紙にも心にも定着させることができます。
「中庸」の気持ちを整えて、「宇宙」を讃えて、生きている喜びに感謝できるようになる。そういう「智慧」を私たちは持っているの。
写経ってジジ臭いとか、仏教臭いとか思いがちです。
でもスケジュール帳に、古今東西の「名言」を書き込んだりするのと同じ。
ちょっと形が違うけれど、「最強のおまじない」を書く、心には強く刻印しつつ、宇宙に向かってエネルギーを最大出力で放出する。
ご利益は満載なの。
本屋さんにはたくさん「なぞり書き」もできる本があるから、ぜひ覘いてみてね。
マイナスでもプラスでもない「中庸」とういう心の状態、空海がいうところの「中」は人間は生れてきた以上は生きてくだけで大変だし「哀しい」
そして滑稽なほど「悲しい」けど、「哀しい」というのは「あわれ」
あわれって、みじめなことじゃないの!
「哀れ」「あはれ」は「儚いこと」
生きてる間なんてあっという間の儚さ。そこを言っているのね!
四苦八苦のこと言ってるんじゃないの。そこを目指しましょ!
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