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オススメだよ!と家族の関係

オタクにありがちなこと、それは自分の好きなものを滅多矢鱈と布教することである。自分のおすすめを読んでもらえると、更には気に入ってもらえると、それはもうオタク冥利に尽きるというものである。
しかしオンオフを問わず何かをオススメするということは、簡単なように見えて案外難しい。
ただ鼻息荒く「これ良いよ!」と言ってもそれだけでは説得力に欠ける。ごく親しくて、また見る目があるとセンスを信頼している人の言葉なら見てみようかと思うこともあるだろう。しかしそれが名もなき一般人ではただのいちレビューに過ぎず、よっぽど言葉を尽くさなければ赤の他人の心には刺さらない。
更に言えば過激すぎるPRはなんだか胡散臭いし、後から振り返るとちょっと恥ずかしい気もする。

インターネット上、仮想空間においてもやや引きこもりがちな自分。なのでオタク友達というものも少ない。
隠れオタクというほどでもないし布教もしたいが、その思いと並行して真に愛するものは一人で大切に大切に囲っておきたいとも思っている。
経済社会にあまり貢献しないオタクだ。
そんな自分が、オタク「友達」というと厳密には語弊があるが、どれだけ強火で鼻息荒くオススメしても気がとがめない相手、それは父親である。

父親は結構本好きで、大体いつも何か読んでいる。
歴史好きで時代小説を特に好んでいるが、案外ミーハーな一面もあり、テレビやCMで人気の本やふらっと本屋に行って目についたものをなんとなく買ってきたりする。いわゆるジャケ買いというやつか。
家族ということで、買った本はほぼ全て共有財産である。誰かが読んだ本は次に自分が読む本、という具合だ。当然のことながら自分の読書趣向に父親の影響は大きい。

割と寡黙な父親にもお気に入りというものが恐らくあるだろうが、聞かれれば答える程度。例えば自分のようにこの本のここが良かった、感動した、ということを自ら話すことは少ない。そういう人に自分の勧めたものを気に入ってもらえると内心ドヤ顔になる気持ちは、きっと共感してもらえることと思う。
勿論すんなりと「気にいった」などとは言わない。彼のお気に入りバロメーターは「これの続きは?」である。続きものでないものは、「この人(=作者)の他のやつは?」だったりする。ドヤァ…

しかし父親も古希をとうに過ぎ、結構なお年である。
昔に比べて読書意欲は随分と減った。体の不調もあって気力が続かないのか、一旦は「これの続きは?」が出ても、途中でもう良いやと読むのをやめてしまうこともある。
自然なことと知りながら、親にはいつまでも健康でいてほしい子供心。合間に共感してほしいオタク心を多分に含ませつつ、今日もオススメをそっと忍ばせるのであった。

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