見出し画像

映画感想文【モリコーネ 映画が恋した音楽家】

生涯で500作品以上もの映画やテレビの音楽を手がけ、2020年7月に惜しまれながらこの世を去った音楽家、エンニオ・モリコーネに迫ったドキュメンタリー映画。
監督はジュゼッペ・トルナトーレ。『ニュー・シネマ・パラダイス』、彼の作品であるこの名作の音楽も、モリコーネが手掛けた。

へー、知らんかった!

『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』『アンタッチャブル』『海の上のピアニスト』…
自分が知っているだけでもこんな有名どころの、あの音楽を作ってきた人だったのか。知らなかった…。

イタリア人ということで活動の本拠地はイタリア。前半に出てきた作品はイタリア映画が多く、知らないもののほうが多かった。知らないけれど、しかしどの音楽も素晴らしく映画とマッチしているように思える。
音楽は映画を盛り上げる、なくてはならない伴走者だ。
劇中では映画監督や音楽家、共演者たちがモリコーネのことを語る。そのエピソードはどれも彼の音楽家としての力量を褒めるものだが、その中のひとりの監督が「映画の本質を捉えるのが僕らよりも上手かった」と言った。
モリコーネには監督が作りたい映画の一番相応しい音楽が分かっていた、ということだろう。事実モリコーネが音楽を手掛けた作品はどれも良く売れたといい、監督にとってこれ以上なく心強い相棒だったはずだ。

しかしモリコーネが映画音楽を手掛けるようになったのは、偏に生活のためだ。自分の音楽の師には決して良い顔をされず、芸術的地位も低かった映画音楽。食べていくにはやむを得なかったとはいえ、強い葛藤があったことがカメラの前のモリコーネの表情で伝わってくる。
自分の志したものを曲げざるを得ないということは、どれほど辛かっただろうか。
如何にも理性の人、といった感じのモリコーネが表情を歪ませ、率直に「屈辱だった」と述べる様子が印象に残る。

目指したものと変質はしても、やはり音楽を愛していたモリコーネは映画音楽に誰よりも真摯だっただろう。そうでなければこれほどまでの作品を作り続けることは出来ないはずだ。結果的に彼はタイトルどおり「映画が恋した音楽家」になり、本来の現代音楽の側面からも素晴らしい音楽家であると世界に認められる。
モリコーネ自身は映画音楽に複雑すぎる思いがあっただろうが、ただ映画を愛するものとしては、その運命に感謝をするばかりだ。

ドキュメンタリーは157分、二時間半のかなりの長丁場である。
音楽の詳しい話は全く分からない。拍子がどうとか、楽器がどうとか。
分からなくても映画音楽は楽しめる。何しろ映像があるのだから。けれど知らないことを勿体ないと思った。もっと自分に音楽の知識があれば、もっと深くこのドキュメンタリー映画を楽しめたはずだ。
モリコーネについても同じだ。
世代は大きく違っていても同じ時を生きていたのに、その名を知ったのは彼の死去だ。
いつもそうなのだ。
手塚治虫、美空ひばり、黒澤明…
なんとなく有名な人なんでしょ、と名前は知ってる。TVで喋っているのを観たこともある。訃報を聞いても特に大きな驚きも悲しみもない。そして数年以上経ってその作品に触れて偉大さを知って後悔する。
もっと早く知っておけば良かったのに、と。
知らない、ということはこれほどまでに勿体なくて、ある意味罪なのだと、久々に思い出した。知ることを怠けてはいけない。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?