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20240312は思い出を

3月12日。
社会人になってからはただただ確定申告間際のギリギリ限界DAY以外のなにものでもなかったのだが、たまたまIzumiさんとの会話で今日が奈良のお水取りだと思いだした。

お水取り、正しくは修二会(しゅにえ)。

この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来している。

行中の3月12日深夜(13日の深夜1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされる。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになった。

東大寺HPより

このお水取りに関連するのが若狭、小浜市のお水送りの行事である。
昔々の奈良時代、京都と若狭を結ぶ(グルメ)街道を通じて奈良へ若狭へ水を送ったことに因むという。この(グルメ)街道がかの有名な鯖街道。
お水送りは3月2日、お水取りは3月12日。
つまり約10日後で若狭から奈良へ水が届くという塩梅である。昔の人は地下水脈にも深く通じていたのかもしれない。ともあれ面白い。

お水取りと聞いて大多数が思い出すのは「お松明」と呼ばれる大きな松明が東大寺二月堂の廊下を疾走する様子だろう。
そもそもは法会の夜の行のための小さな明かりに過ぎなかったものが、江戸時代にパフォーマンスとしてあの形になったらしい。さすが(?)江戸時代。平和は時に釈迦のお膝元もエンターテイメントに走らせる。


昔、多分20年くらい前に一度だけ見に行ったことがある。
巨大な火の玉が夜の闇を駆け抜ける。
その様子はさぞかし幻想的で荘厳なものに違いない……。

と思ったらどっこい、やはり一般人が目にできるのはエンタメ化された一面だけなのである。
夜のしじまはすし詰めの観客や報道陣たちに破られ、闇は電子機器の明かりが眩しくて、魑魅魍魎が姿を紛らわせる隙間もない。悪鬼羅刹も裸足で逃げ出しちゃうゾ。
そして自分もちゃっかり携帯で動画を収めていて、家に帰って見返してみれば隣にいた母の歓声が「ひゃー」だの「あれー」だのバッチリ入り込んでいた。情緒もへったくれもない。
迫力があってとても面白かったし、そもそも由緒ある重要なお寺の行事なので一見の価値はあると思うものの、20年前の少女Eは俗っぽさに少々がっかりしたことを覚えている。
いや、舞う火の粉をありがたがるのが本来の庶民の姿だとすれば、これが本筋……??

鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽、無病息災、様々な祈りが込められた大事な行事。一般人を排除する必要はないとも思うが、どうもな、とも思う。
だが最近、過疎化が進んで途絶える神事なども話題になっている。ある程度のエンタメ化は共存のためには避けられないのかもしれない。

まぁ20年も前の話だし、コロナなどもあった。今は少し違っているのかもしれないが。その手でエンタメ化を進めた御本寺的にはどうお考えなのだろうか。


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