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2020/03/01~03/08

2020/03/01

3月になった。奈良の一大イベント、「関西に春を告げる」という枕詞でもよく知られる、お水取りが始まる日でもある。枕詞に合わせたわけでもないだろうが、暖かい一日となった。

今日も案内所での勤務。人出は決して多くはないが、絶望的に少ないわけでもなかった。お水取り初日で日曜日だし、午後6時以降はそれなりに人出があったのかもしれない。だが、自分の勤務は午後5時までなのである。今日はお松明を見ることもなく、そそくさと帰った。

そのお水取り(お松明)だが、入場規制のようなことは行わないそうだ。ただし、御堂の内部(局[つぼね]という)に入る際は、マスクの着用やアルコールでの手指の洗浄をお願いするとのこと。
参拝客にも練行衆のお坊さんたちにも何かあったら大変なので、いたって妥当な措置。でも、過去1250年以上続いてきた神聖な行事がこんな風になるのは、ちょっと複雑な気持ちでもある。

2020/03/02

朝もはよから、バルコニーのフェンスに取り付けたラティスを外す。マンションの大規模改修でフェンスを塗装するため。既に8割方は外してゴミに出してあったのだが、側面に付けていたものが残っていた。

今日は在宅仕事。ダラダラとパソコンの前に座り続けてしまう感じ。もう少しメリハリを付けて、他のことに時間を割り振れば色々できるはずなのだが、なかなか思うようにいかない。

金曜日には、少しだけトイレットペーパーが売られていたが、土曜日以降は棚に何も残っていない。見かけたときに買っておくべきだった。残り2ロール。

それにしても新型肺炎にさほど関係のないトイレットペーパーやティッシュがここまでなくなるとはねえ…。誰かの妄言が多くの人の妄動を引き起こす。馬鹿が馬鹿を生むというか。

…でも、自分もこうなることを予測できなかった馬鹿なわけで、自業自得である。

2020/03/03

勉強会(ガイド)。ガイドプランの作成、飲食店の情報交換と、なかなか実践的な内容だった。ガイドとして活動するなら、こういった内容の方がむしろ重宝する。まあ自分は、介護やらの関係もあってガイドの仕事は基本入れないようにしているので、宝の持ち腐れかもしれないが。

会の終了後、銀行や買い物などの用を済ませたら、今日は休むことにする。本来、火曜日は休養日なのだが、ここ最近のんべんだらりと仕事をしていたから、まあよかろう。

・・・とか思っていたら、ダラダラとネットを見てしまい、あまり休まらないうえに、無為な感じで一日が終わりかけている。

2020/03/04

朝から雨だった。それにしても今年の冬は雨が多い。大規模改修が休みになり、静かで助かる。

今日も在宅で仕事。昨日休んだ分を取り返す…というほどでもないが、普通の分量をこなす。
運動不足は気になるが、雨。股関節の具合がちょっとおかしかったり、腰痛も相変わらずだったりするからもう少し歩くべきとは思うのだが、散歩もせず。夕食は余り物と、冷凍の鶏もも肉と小松菜ででっち上げる。

相変わらず、ニュースは新型コロナばかり。ただ、今日はスーパーチューズデーがらみもそれなりに。新型コロナは感染者数どうこうじゃない段階になったとは思う。コロナは常に身近にあり、いつでも伝染り得るという段階。 伝染ったときに重症化しないようにするためのノウハウが確立&周知され、やがて「コロナ? ああ気をつけないとね」くらいの感じになっていく…と見るが、自分の予測はよく外れるからな・・・。

何となく、マイケル・クライトンの『タイムライン』を読み始める。『光の量子コンピュータ』で言及されていたのを思い出した。もっとも、量子コンピュータは香り付けに使われている程度のように思う。
・・・このご時世でこの作者なら『アンドロメダ病原体』の方がよかったか。

2020/03/05

今日も自分は在宅仕事。合間に『タイムライン』を読む。なかなか面白い。

母、デイサービス。先週はごねて行かなかったが、今日は問題なし。外に出ている隙に、母の居室を掃除する。

マンションの大規模改修。バルコニーに置きっぱなしにしている物が、まだまだたくさんある。そういったものを片付けたり、網戸を外したり。雑事に追われがちな日々である。

期限が延びたので少し放置していた確定申告。領収書の整理と経費帳、保険類の確認…等を済ませた。帳簿はもう少しで片付く。そうすれば後は、国税庁のサイトで必要事項を入力→印刷すれば完了。普段からこまめに帳簿を付けておけば、すぐ済むんだけどね…。

ドラッグストアにて、トイレットペーパーをついに発見せり。棚はまだまだ寂しかったが、それなりの数があった。それにしても、未使用ロール残り1個というところでやっと買えた…。危ないところであった。

2020/03/06

今日も在宅…なのだが、バタバタした一日となった。

マンションの大規模改修。裏のバルコニーに足場が組まれるし、フェンスや外壁の塗装も始まるので、色々と片付ける。だが、どうしても移動できないものがあり、現場監督と協議。結局、移動する必要はない(足場は十分組める)ということで、一件落着した。

午後からは、自室のそばでもいよいよ足場の設営が始まった。騒々しいし、人の行き交いも多いので、しばし仕事は諦め、本を読む。

ガス会社より、電話。警報器の交換時期という。午後から来てもらうことにした。交換自体は、何と言うこともなく終わる。ハッキリ言って、交換の必要があったかも疑わしい。安全に関わる物だけに断りづらいが、さも当然のごとく、1万5千円近く持って行かれる(買い取りの場合)のは痛い。
後から調べると、5年を経過すると、だんだん誤検知(ガスが漏れていないのに鳴る)が増えていくそうな。だったらまあ…と自分を納得させる。

こんな具合だったので、仕事ははかどらず。確定申告も進まず。週明けくらいには出したかったのだが、ちょっと難しいか。

読了:『タイムライン』(マイケル・クライトン)。初読。面白かった。コニー・ウィリスのタイムトラベルシリーズ(史学部ものというか、ダンワージーものというか)に似た部分があるが、そのシリーズより、よくも悪くもエンタメ王道、ハリウッド的ジェットコースター。
タイムトラベルについては、量子力学の多世界解釈をベースにしたもの。ただ、無数にあるはずの並行世界をピンポイントで指定できるとか、機械・ガジェット類が便利すぎたりとか、SF面/技術面では引っかかるところが多い。むしろ面白いのは中世フランスやそれにまつわる物の描写で、意外と華やかでワイルドな中世の様子とか、皮革の製法とか羊皮紙とインクとか、色々勉強になる。

2020/03/07

朝は少し寒かったが気持ちよく晴れ、お昼前からはポカポカと暖かくなった。鹿も眠そうにしていた。

今日は案内所。出勤途中、近鉄奈良駅の出口付近に鹿の糞が転がっているのに気付いた。こんなところまで跡を残していくのは比較的珍しい。

Mさんが来所して、例によって長話。その話の中に、「奈良の鹿に異変」というテレビ放送の話題があった。曰く、鹿の行動範囲が広がっている。交通量の多いJR奈良駅付近までやって来て、植え込みの草や花を食べていく…とのこと。なるほど、近鉄奈良駅周辺に鹿の糞が転がっているのも道理だ。

確かに、鹿がお腹を空かせている感じはある。観光客が少なく、それに比例して鹿せんべいの供給量も減っている。生きるか死ぬかというほどでもないが、手っ取り早く腹を膨らませるのに慣れた鹿にはつらいのだろう。今年の夏頃に生まれた子鹿もすっかり人慣れして、要領のいい子はお辞儀までするようになっている。


昼食はパンで手早く済ませ、東大寺二月堂まで行ってみた。暖かく、境内を歩いていると気持ちいい。12時40分頃に着いた。
修二会(お水取り)の最中とあって、二月堂周辺のアチコチでいつもと雰囲気が異なる。普段は閉まっている扉が開いていたり。

練行衆(行法を行うお坊さん達)はまだ食事をしている様子だ。もう少ししたら、生飯(さば)投げという行事(?)が行われる。
修二会では基本的に、食事は正午からの1回のみ(ただし、行法の終了後に夜食を取ることもあると聞いたことがある)。この食事以降は、深夜に行法が終了するまで、御飯はもちろん水も飲まない。
その正午の食事で残った御飯を外に投げ、鳥や獣に施すというのが生飯(さば)投げ。実際に見るのは、これが初めてだった。

12時50分過ぎに、食堂の扉が開いて、練行衆が握りこぶしほどの飯の塊を一人ずつ投げた。食堂の前にある小屋(閼伽井屋)の屋根を目がけて投げる人もいれば、地面を転がすように投げる人もいる。快晴の青空と相まって、何とものどけき一コマだった。

2020/03/08

昨日から一転、朝から雨だった。案内所への出勤時はそれほど強く降っていなかったが、10時を過ぎた辺りから本降りになった。新型コロナウイルスに雨と来ては、お客さんはほとんど来ない。

これだけしっかり降ると、雨音がよく聞こえてくる。道路やベンチに落ちた雨がしぶきを立てるのが見える。・・・うむ、心地いい。雨を見てるだけの仕事があればいいのになと、やくたいもないことを考える。
こんなことを考えるのは今に始まったことではない。その昔、雨天評論家という職業をでっち上げ、小話のような掌編小説のような文章をこさえてツイッターに上げていたこともあった。こんなことをするくらいには、自分は雨ふり好きなのだ。
お客の来ない観光案内所で雨を見ているのは、そんな自分にとってまあまあ理想に近い状態である。もっとも、こんな状態が長く続けば、案内所は破滅する。

昼の1時を過ぎた頃に雨は上がり、晴れてきた。日差しが暖かい。お客さんもそれなりに増えてきた。

雨ふり好きではあるものの、午後から晴れてくれたのはありがたかった。
今日はお水取りのご奉仕(ボランティア)。お松明が行われる夕刻から夜にかけて、英語通訳・案内担当として場内整理にあたる。
冬の夜に雨中で仕事をするのは、避けられるものなら避けたい。こちとら、柔(やわ)な雨ふり好きなのである。

案内所の仕事を終え、二月堂に向かう。もう雨が降りそうな気配はない。
集合の前に二月堂に上ってみると、ちりやほこりが 雨で 洗われたのか、視界がクリアだった。空には雲が若干残っていて、夕陽が少し色づきかけていた。もう少し経てば、綺麗な夕焼けが見られそう…だが、集合時間が迫っていた。二月堂を下りて、集合場所に向かう。

ご奉仕の説明が終わった頃に二月堂を見上げると、やはりうっすら赤く染まっていた。でも、ご奉仕が始まったので、写真の撮影などは行えない。残念。

英語担当者は3名だった。協議の末、それぞれが持ち場についた。自分の担当は、一番暇なところ。楽なのはいいが、その代わりお松明はほとんど見えない。

新型コロナの影響で、お松明の人出も例年よりは若干少なかったように思う。外国人となると、さらに少ない。自分がいた場所は、それに輪をかけて少ない。と言うより、外国人旅行者はこの付近には皆無だった。日本人の参拝客に対応するだけのご奉仕となった。

午後7時、二月堂周辺の明かりが消える。 梵鐘が鳴って、お松明が始まる。
しかし、明かりが消えても周りは妙に明るい。見上げると、満月の一歩手前くらいの大きな月が煌々と照っていた。

月が明るいというのは、それだけで何だか嬉しい。
お松明の炎に明るい月。世界の先行きを明るくする吉兆ととらえることにしよう。そもそもお水取りこと修二会は、世界平和と国家安寧を祈る宗教行事なのだから。


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