見出し画像

ペドフォビアとトラウマ

ちいさい頃から赤ちゃんが怖くて怖くて仕方ありませんでした。でも赤ちゃんを怖いと言うなんて許されないと思っていたので、ずっと自分は頭がおかしいのだろうと思ってましたし、誰にも言えずにいました。
最近、やっと怖いと言えるようになったのでお話したいです。

赤ちゃんが怖いと自覚したのは、7歳くらいの時、友達の弟が産まれたときです。見に行って、さわらせてもらいましたが、赤くて気持ち悪い。怖い。それをかわいいと誉めちぎる大人も怖い。なんとなく、私がいまここで気持ち悪いと泣きわめいたら殺されるんじゃないかな、と恐怖しました。

殺されるというのは言い過ぎかもしれませんが、その後も赤ちゃんと言うのは、全てが善で正しいのだろう、それを気持ち悪いと思う私はおかしいのだろう、という気持ちはどんどん膨らんでいきました。そして私は一生無理して赤ちゃんかわいいと言わないといけないのだと思ってました。

最初の変化があったのは高校生の頃です。保健体育で胎児の勉強をしているとき、どうにも体調やメンタルが優れず、休むことも検討するほどになりました。思い返してみると、過去にも保健体育の授業で体調を崩すことがあったのでGoogle先生を頼ると、トコフォビア(出産恐怖症)やペドフォビア(子供恐怖症)が該当するとのことでした。良くわからない恐怖や、不調に名前がついていてほっとしたのを覚えています。

その後もトコフォビアやペドフォビアであることは誰にも打ち明けませんでしたが、フォビアについて考えているうちに、あるトラウマを思い出しました。

私には兄弟はいませんが、実は死産・流産したきょうだいを入れると6人きょうだいなんです。昔はよくその事で「あなたは6人分生きるべき」「きょうだいの分も○○…」「きょうだいに顔向けできる…」と死んだきょうだいを引き合いに出されてプレッシャーをかけられていました。そしてきょうだいは私のことを恨んでいるに違いないと思っていることに気づきました。忘れていたトラウマを自覚した時は本当に辛かったですが、このトラウマが原因で、赤ちゃんが怖く、私を責めているように感じるのだと気づきました。だから、理由なく無垢な赤ちゃんを嫌っているわけではないと自分に言い聞かせることができました。

トラウマの自覚からしばらく、同世代が結婚、出産をする年齢になりました。ペドフォビアもトコフォビアも良くなる兆しはありません。今までは友人が妊娠したとわかると縁を切るくらいの極端な避け方をしていましたが、最近、折り合いの付け方を学びつつあります。

先日、友達から赤ちゃんの写真が送られてきましたが、ペドフォビアであることを告白し、今後送るのはやめて欲しいと丁寧に説明できました。恐怖症なんかに人間関係を邪魔されたくない、と思えるようになったのは成長だと思います。

これからも困難が多いとは思いますが、無理せず、人間関係も大事にしたいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?