日々、死にたい。

「発達障害って聞いたことありますか?」

「それは、ありますけど。」と絞ったような声で答えた。それ以上の言葉は何も口から出てこなかった。


パワハラとペットロスのダブルパンチでメンタルをやられて仕事を辞めた。詳しくは先日投稿した『パワハラとペットロス』を読んでいただけるとお分かりになると思う。

幸い実家という逃げ道が残されていた。私は荷物をまとめ、のこのこ生まれ育った大阪の街に逃げ帰ることとなった。


再就職もままならずアルバイトではした金を得ては、私は大阪から東京に足を何度も運んでいた。愛猫という生きがいを失っても死ぬこともままならない生活の中で、とあるミュージシャンと出会ったのだ。私は彼を”推し”と神格化し、新たな生きがいとして”推し活”に没頭するようになった。稼いだ金は全て推し活に消える。別に構わなかった。自分など生きていて死んでいるのようなものなのだ。お金なんて持っていても。

不安症が解消されるわけではなかった。生きがいを一つの物事に依存するということは、それを失った時の反動が大きいという問題を抱える。もしも彼がミュージシャンを引退してしまったら?ある日不慮の事故で亡くなってしまったら?また生きがいを失ってしまうかもしれない。そんなことを考えるだけで毎晩、恐怖に苛まれる。

こんなこと辞めなくては。そう思うものの一度生まれた執着心をなかなか手放せないでいた。これを手放したらどうやって自分は自立して生きればいいのか分からない。
悩みの種はそれだけではない。正社員という責任から逃れた今でも、私は酷い吃り癖と泣き癖からは逃れられないでいたのだ。

仕事中に泣いてしまう。普通の人ならあり得ない。そもそも泣いていては仕事にならない。仕事になっていないにも関わらず、給料はもらうなんて給料泥棒もいいところだ。何故泣いてしまうのだろう。どうしてコントロールできないのだろう。他に誰も仕事中に泣く人などいないのに。何故私は人とズレているのだろう。

心療内科の受診をずっと考えていた。本当は1年ほど前から考えていたが、どうしても勇気が出なかった。「何かあったらどうしよう」ではなく、「何もなかったらどうしよう」という心配だ。ただ”性格が悪い”だけだったらどうしよう。医者や看護師からの冷ややかな視線を想像してしまう。とはいえすでに私は限界だった。2022年11月、私はようやく藁にもすがる思いでとある心療内科を受診した。

そこで冒頭の一言に戻る。


医者からの言葉はほとんどが右から左へ抜けていった。そのため、何を言われたのか正直よく覚えていないのだが、とにかく「ASD」の点数が高いらしい。


そんなわけないだろ。


真っ先に思ったのはそれだけだ。そんなわけない。だって今まで普通に生活してきたじゃないか。待合室でスマートフォンの検索欄に『ASD』と打ち込んだ。自閉症だの、アスペルガーだの色々出てくるがあまり読む気にならず、そのままタブを閉じた。

うつ病と言われた方がマシだったな。帰りの電車でそんなことを思う。

私は人の助けなしには今後も生きていけないのだろう。責任のある仕事をしていくのは難しいのだろう。自立して生きることは困難なのだろう。努力するのはもう結構。私はこれまでだって散々”ガンバって”きたのだ。
将来に希望など持てない、生きるのに疲れた。もう面倒だから生を終わらせてしまいたい。日々、死にたい。そんな風に感じている。




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