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パワハラとペットロス

それがパワハラだったのか教育だったのかは今でもよく分からない。ただ毎日毎日、繰り返し全身に浴びせられる荒々しい言葉、怒鳴り声の数々で少しずつ自分がおかしくなっていっていたことは間違いない。

2021年4月、新入社員として入社してから会社を辞めるまでの1年間、毎日が上司との戦争だった。叩きつけられる厳しい言葉に"何くそ"と思えるほどの向上心はなかったが、とにかくこの戦争に負けるまいと奮闘する日々である。

話は少し変わる。少しずつ仕事に慣れ、研修期間も終わったある日。実家からとある凶報が入る。聞けば、生後1ヶ月の頃から保護して家族となっていた愛猫が行方不明になったとの知らせだった。2021年6月のことである。
ペットと言えばただのペット。しかし私にとっては唯一無二の家族である。初めこそ気丈に振る舞っていたが頭の中はすぐに猫のことでいっぱいになった。完全室内飼いを徹底していたおとなしい子だ。家が分からず、お腹をすかせ、見知らぬ人や車の騒音に怯えているに違いない。これは私の昔からの悪い癖だが、そんなことを考えると、仕事中にも関わらず涙を堪えることがどうしてもできなかった。

その日は金曜日だった。すぐに実家に帰り、休日を使って探し回ったがどうしても見つからなかった。チラシを作り、家族みんなで歩き回り、ときには猫探偵を雇ったり、ボランティアの人に手伝ってもらったり、色々手を打ったものの、結局は見つけ出してあげることができなかった。

心の支えがなくなった私は、すっかり生きる気力が抜けてしまった。大切な一匹の家族は、今頃お腹をすかせてガリガリに痩せ細っているかもしれないのに、私はモリモリと美味しいご飯を家で食うというのか。考えられない。しかしお腹は減るのだ。
一匹の家族は、今頃暗がりに怯え、ろくに睡眠もとれていないかもしれないかもしれないのに、私はぬくぬくと布団に丸まって眠るというのか。あり得ない。しかし、睡魔は襲うのだ。

私は相談というものが苦手だ。その原因は後に分かることなのだが、とにかく人とのコミュニケーションが異常に苦手だった。
猫が心配で心配で仕方なかった。その苦しみを、誰かにちゃんと相談できれば気が楽になっていただろうか。
あるとき、職場のあるおじさんに迷子になった猫の話をポロっと口に出してしまったことがある。

「飼っていた猫が、行方不明になってしまったんですよ。」

帰ってきた言葉は、私にとっては思いもよらないものだった。


「へえ。死にに行ったんちゃう?」


おじさんはヘラヘラと笑っていた。

グサグサと心に刺さった。おじさんは知らないが、愛猫はまだそんな年齢ではない。仮にそんな年齢だったとしても、そんなにも軽々しく、ニコニコしながら言うことなのだろうか?私には分からない。私にとってはあり得ない。二度と猫の話はしなかった。

上司の暴言は日を増すごとに酷くなっていたような気がする。それもある意味仕方のないことだった。とにかく人手が足りず、誰もが心に余裕がないのだ。それは私にも見てわかった。仕方ない。また私も悪いのだ。新人というのと差し引いても、自分が人より劣っていることは自負している。猫の件もありすっかり気力も抜けていた。だから仕方ない。上司とて、普段から常にピリピリしているわけではなかった。仕事のスイッチが入るとそうなるのだ。だから仕方ない。私の出来が悪くて、仕事が忙しいのだから多少の暴言は仕方ない。

私自身にも変化が出ていた。先述したように、気力がないのはもちろん、"吃り癖"が出始める。今も治っていない。もともと声が通る方ではないが、人に声をかけようとすると喉がぐっと詰まる感じがして、声を出すのが辛い。大きな声は増して辛い。声が小さいので上司がピリつく。上司がピリつくから声がますます小さくなり、吃り癖が酷くなる。

アルコールの飲酒量も増えていた。休みの日は昼から夜までずっと飲んでいる日もあった。2リットルくらいのウイスキーを買って1人でガバガバ飲んでいた。そして寝た。寝ているときが一番幸せだった。夢の中で愛猫と会えるからだ。

愛猫の夢を何度も見た。夢の中で猫を探す。猫を見つける。おいで、と手を伸ばし、しっかりと腕の中に抱いて、家に連れて帰る。これでもう大丈夫だ。安心だ。また前と同じ平穏な生活に戻ることができる。ああよかった、よかった……。

そこで必ず目が醒める。なんだ夢か。そして重い体を起こして仕事に行くのだ。完全に重度のペットロス状態であったと思う。
誰にもその辛さを吐き出すことができなかった。吐き出したところで相手を困らせるだけで、愛猫が戻ってくるわけではないからだ。

仕事に支障をきたしていたのは吃り癖だけではなかった。泣き癖だ。とにかく泣き癖が酷くなっていた。怒鳴られて自分の不甲斐なさに涙を堪えることができなくなっていた。ほとんど毎日、泣きながら仕事をしていたと思う。情けなかったがどうしようもなかった。毎日泣いて泣いて仕事をして、それでも上司に負けるまいとやっていても、そんな状態ではちょっとしたことで心はポッキリと折れてしまうものだ。


「親の顔が見てみたいわ。」


ひょんなことから上司の口から出た言葉だった。

こんな言葉、本当のパワハラを受けている人なら何度も言われたことがあるのではないだろうか。
私なんぞはたった一度でポッキリと心が折れてしまった。

自らだけでなく親まで悪く言われてしまうとは。申し訳なかった。親にも上司にも申し訳なかった。申し訳ないから詫びたかった。
死んで詫びたかった。

その日から、いやそれよりも前から、私はずっと死ぬことばかり考えていた。死にたい。消えたい。誠心誠意死んで詫びたい。もう疲れた。すでに夏が過ぎ、冬が訪れていた。私はパーカー1枚着て山の麓で、地べたに寝転んで寝た。寒くて眠れたものではなかったが、一晩中ここにいれば凍死できるのではないかと思っていた。詳細は省くが、結果うまくいかなかった。人に見つかったのだ。会社からは次同じことをしたらクビだと宣告された。当然だ。

2022年3月、私のメンタルは限界だった。もう辞めよう。仕事中にふと思い、辞表を書いた。上司との戦争も終結を迎えた。

この文章は、決して己への同情を求めるものではない。同じ苦しみを持つ人たちがこれを読んで、共感して、少しでも気が楽になれば幸いであるし、逃げるという選択肢をした私が今、なんとか飢えず生きているということを知って欲しい。

また、この話には続きがある。それについては後日、別の投稿に記述していこうと思う。











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