屠殺ラブスト2-5

「ユメではなかった……」

安アパートのドアを開けてすぐ、落胆がため息になった。
午後出勤になってしまったが、月曜日だから仕事がある。

昨日のアレは、岸川シカマさんとやらのからかい、遊びで、帰宅すればいつもどおりの毎日に戻ってるのでは、と、あまりの急展開にちょっと期待を寄せていたものを。

長身細身の男性は、どうも、私がむりやり午後出勤に逃げたあと、ずっとベッドで寝てたらしい。高級そうな服? 私服もしわくちゃに、布団に抱きついて顔をうずめ背中を上下させている。

「…………」

ウチに。この狭いアパートに。180センチ近くの大っきなライオンがいるみたいだ……。

壁沿いにずるずると移動する。着替えたい。出勤服、そんなに持ってないし。時間もないし。昨日はお風呂どころか、シャワーすらしてない。私の髪が、いちばん気持ちに率直に素直にぐちゃぐちゃになっている。

ボランティア、土いじり、用具や小屋やらを収納している小部屋。着替えをもってそこで服を脱ぎ着した。

猫用、犬用のカゴ、小屋が、隅に積んである。今週には犬用のを出すつもりだった……のに。

(保護ボラ、しばらく中止にするしかないかも)

今月末の約束、断らせていただくことになる。
私のせいで迷惑をかけてしまう。
いや、あの、ベッドで寝てる男性が何もかも悪い。

大層な犯罪履歴も自白していた。あまり詳しくないけど、あれが本当なら死刑囚だ。しーさんは。
無期懲役になっても、無期懲役は、実際には10年ほどで出所するケースも多いはずで、この国の法律での無期懲役とは名ばかりであることが殆ど。でも、昨夜のしーさんの罪は、本当に一生涯、刑務所に閉じ込められるやつ……、でも。

(……ヤクザ……日本全国の……ここ、東京だから、よくわからない。しーさんは自分は捕まらないとか言ってた。司法国家がニセモノ、幻想って、そんな、……田舎じゃ……そう、だった、けど……?)

わかるような。わからない、ような。

情報が多すぎて。なによりしーさんの意志がわからない。なにこれ。考えると、ううん考えてもわけがわからない。げっそりする。

でも。

部屋着はひとまずまだ着てなかった新しいものでいいや。あのひとが寝ているうちにお風呂、目の前のことを一個ずつやる、少しでも前向きにしていかなきゃ。

(でなきゃ)意味が、ない。

小部屋を開けて出て、お風呂を用意しようと、して、ハッとする。

後ろに人がいる。
ちょっと、て私が文句を言いたくなるくらいに、自然体の物言いをする。

「実はドア開けたときに目は覚めてたんだけどさ、ちょっと、いやかなりびっくりして声かけるタイミング失っちゃった。お風呂にするの」

「しーさん……」

「沙耶ちゃん、なに、これ」

「…………?」

左右の髪の毛が、びろん、広げられた。

私が驚いてるのは。しーさんの表情。
やたら目をきらきらさせて、いつも会うたびに家畜の、それも屠殺の準備をしても暴れないで微動だにしない子の目の据わり方、人間らしくない目玉をしてた男のひとは、少年になって活き活きして歯を口角から見せていた。

「何、コレ!」

「は?」

「ミミだ。何これ。沙耶ちゃん、ポニーテールにしなくってもミミ付きになるんじゃん。なにこれ。うさぎのミミが垂れてるやつ? どうなってんの沙耶ちゃんのくせっ毛!」

「は……?」

そこ、は、私が毎朝、30分ほどドライヤーをかけて整えて直している髪の毛の。
特に、ハネてしまう部分。

反り返って外バネになるから。
うさぎの垂れ耳と言えばそうにもなる。ミミ付きのうえしょげてるみたいな髪になっちゃうくせ毛だから、ドライヤーを根本から当てて滑らかにするのは日課。
今日は、昨日から、もちろんそんな30分間があるわけなかった。

少年どころか、子どもになったみたい。私の外ハネの髪の毛を左右いっしょに摘まんで広げて、わー、わーこうなってたんだ、とかなんとか。なにはしゃいでんだこの極道死刑囚の犯罪者は。

「初めて見た! なんでいつもこうしないの!?」

「……直すの当たり前じゃないですか……」

30分の苦行を教えると、しーさんは顔色を変えてムッとする。なんでそこでしーさんが機嫌を損ねる。

「え。本気? なら、俺いっつも沙耶ちゃんが30分もかけてこんなカワイイのを殺した後の姿を見てきたってこと?」

(殺した後て)

「ウソだろ?? そんなことある?? 結婚しなきゃ一生知らなかったかもしれないの?? そんなことある?? ウソだろ」

(2回言ってる)

「……嘘もなんも。気持ち悪いです。馴れ馴れしく触らないでください。昨日から、ずっと馴れ馴れしいです」

「夫婦だよ」

「書類上ですって」

「でも当矢沙耶ちゃんって子は、俺を岸川組から引っこ抜いてきて、こんなアパートに匿って、結婚までして俺の味方しちゃってるのも事実だ♥ 今さら、無関係で済むわけが無いよ♥♥」

「しーさん。私、お風呂入るので」

(会話が成立しない!)

なんかもう、これは。引き取ってきたワンちゃんネコちゃんの類に似てるのかもしれない。そう思うしかない?

しーさんが、頭半分くらい上の高さから、私の部屋着姿をジッと見下ろしてくる。

……さすがに、私だって。
自分の年齢が子どもなのは、わかってる。働いてても。
同じ年頃の大対数の人は、学生をやっていて、アルバイトすらやってない人もいて、そんな人たちは、1000円札だって酷く重たい。私もそうだけど。働いてても。

ゾ、背筋がにわかに音を鳴らそうとしている。
青くなる私が見てわかるのか、ああ、と、しーさんは独りで笑った。愛想笑いではなかった。ただ面白くなっただけ、みたいに。

「別に今すぐセックスしようとか言う気、無いよ。安心してねそこは。ただちょっと見てただけ、沙耶ちゃん可愛いなあって。お風呂ね。どうぞ。ああ俺、昨日シャワー借りたよ」

「……かまいませんけど。……しーさん、本当に、……住むんですか」

「うん?♥ そこ本気しか無いけど♥ ああ、適当でいいから着替えも買ってきてよ、こっちも本気で言ってるから。着替え買ってきてよ明日は。風呂出てから話そっか? 俺とりあえずすることないから寝てていい? 沙耶ちゃんのベッドで待ってるから」

「下心がないとか言う割にはずっと私のベッドで寝てるのなんなんですか」

「え? 下心はあるよ? だって結婚してるから。沙耶ちゃんがいいならそれ」

「さよなら!」

「いってらっしゃーい。また30分後ぐらいにね沙耶ちゃん」

いや、いや、犬や猫で済むはずなかった。人間だ。男だ。男性だった!!

タオルをもって慎重にお風呂場に閉じこもり、トイレと一体型ではないバス構造に初めてありだかみを噛みしめる。
それに、初めて、お風呂のドアのキーロックというやつを、かけた。

この鍵、一人暮らしで使うこと、ある?




END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。