2023年回顧

今年の1月から書き始めた原稿は9月に脱稿し、12月末にゲラとなった。実に頑張った。やればなんとかなった。誰も褒めてくれないので、自分で自分を褒める。偉いぞ。2024年はゲラ直しつつ、次の企画も考えたい。なんか調べたり、読んだり、書いたりすると忙しいのだが、忙しいくらいが日々に張りがあって良いのではないか。11月12月は、わりとダレてしまったので。

note公開記事でスキが多かったもの

一時期、生成AIにハマっていて、特に英語でアウトプットをお願いしていたが、最近はあまり使っていない。「生成AIで生産性があがる!」という人もいるし、「仕事が奪われる!」という人もいる。どちらも本当だろう。大多数の人にとってはネットに膨大な人間が書いたっぽいフェイクが混ざり、本当の/役に立つ記事を見つける手間がかかるようになるのが問題なのではないか。一部の人が使いこなし「生産性があがった!」と主張するのと裏腹に、もっと膨大な数の人たちが、本当なのか嘘なのかわからない記事、ひょっとしたらフェイクであるとすら気づかない記事に埋もれる、というコストを支払わなければならないのではないか。これもまあ、コストの外部化であろう。

「やりたいことはなんですか?」とキャリア教育で聞かれるし、企業も採用の時に気くのだろうが、日本のメンバーシップ型雇用の企業では、この問いは発する方も答える方もなかなか難しい問いである。「やりたいこと」という個別具体的なことより、「どういう働き方をしたいか」「働く上で大事にしたいことは何か」という方向感覚・価値観を考えた方が良い。

今年一番読まれた記事。非常に良い本である。PISAの学力調査(最新版)では、日本のリテラシーが高く出て、「本を読まない→リテラシー低い」という前提も結論もまちがっている謎の教育論がちまたをにぎわせることはなかった。

言われてみればほんとその通りだな、という世界。前から公言しているが、自己啓発本は読まないが自己啓発をめぐるカルチャーには興味がある。目的のためにあらゆるものを手段にしていく、その貪欲な姿勢は敬意を払いつつ、同じところをぐるぐるまわっているトレッドミル走ってるだけで実はどこにも進んでいないのではないか。という清々しさ。ただ体力&精神力ともに下手っていくし、トレッドミルが「世界」(と認識)なのでそこから降りるという選択肢が原理的にできない、キツさがある。

ディックはやっぱり人気があるというか需要があるというか。最近、海外のディック論も翻訳されたと聞く。SF評論家たるものディック論をいつかきちんと書いてみたいもの。(『SFマガジン』に以前、20枚のディック論は書いた。)

シミルボンからの再録。長年お世話になった書評専門サイトがサービス終了したのでサルベージした原稿を再録&コメントつけて載せることも2023年の後半に始めた。自分の昔の原稿を読み直すのは、なかなか面白い。え、自分、こんなこと書いたっけ的な驚き。

未読の傑作SFも多く、まだまだ沼は深い。

いつか映画化してもらいたい。

ひさしぶりに東浩紀の哲学書を通読した。ひょっとしたら『一般意志2.0』以来かも。本書はその続編でもあるので、ちょうどよかった。人類への過剰な希望と絶望は、実は表裏一体という指摘はなるほど。

「トランジスタ技術の圧縮」が『世にも奇妙な物語』で映像化されたのは衝撃。

『非モテの品格』の増補改定版。新書もう1冊分ぐらい加筆されている。お得。というか、すごい。状況が5年10年で変わっていく。安倍晋三銃撃犯の山上容疑者が筆者の記事にTwitterで反応をしていたのだが、その「応答」ともなっている。

良書。こういう本もいつか書いてみたい。

YouTubeのSFラジオ

YouTubeはほぼ1年続けた。週1で現在42本。一番バズったのはタルコフスキーの『ストーカー』だった。何が人気なのか、謎。たぶんYouTubeはその他プラットフォームよりYouTubeのオススメからの流入が一番多いので、その他プラットフォームで宣伝するより、YouTubeを充実させていく方が良い気がした。といっても、やりたいものをほそぼそとやっていくだけである。

SF評論家のSFっぽい生活 #40  タルコフスキー監督『ストーカー』(映画)


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