一緒に未来を考えるメソッドーー宮本道人、難波優輝、大澤博隆『SFプロトタイピング SFからイノベーションを生み出す新戦略』早川書房

SFプロトタイピング……それはサイエンス・フィクション的な発想を元に、まだ実現していないビジョンの試作品=プロタイプを作ることで、他者と未来像を議論・共有するためのメソッドである。近年ビジネスの現場で脚光を浴び始めており、すでに様々な領域で実践されている。

本書3ページ

SFプロトタイピングで作られるプロトタイプ(試作品)にはガジェット、キャラクター、プロットの3つがあり、これらから未来を具体的に想像=創造することができる。

重要なのは独創的なSF的ガジェットを発明することよりも「他者と未来像を議論・共有する」ことにある。本書はSFプロトタイピングを、主に企業からの依頼を受けて実践してきた人たちが、いくつかの実践事例を紹介しながらその効用を説くものだ。ワークショップやってナンボである。そのアイディアがSF作品としてどう価値があるかよりも、具体的なモノ・ヒト・コトを、例えば自社商品とからめてどう説得的に描くことができるかが問われる。アイディアの議論・共有は、SF作家やSFを生業にしている人だけのものでは(当然ながら)ないことに改めて気づく。また、SFという思考法は、工夫さえすればかなり効果的な「未来を考える方法」になりえるのだと実感できる。

私は、SF作品の良い・悪いを考える時、作品に登場するSFガジェット(道具、アイテム)が登場しなければならない理由(科学的な根拠と社会的な必然性)と、そのガジェットが出現することによって不可逆的にもたらされる人間と社会の変化を、きちんと考えられているかを重要視する。これらをすべて言葉にして書くかどうかはまた別だが、少なくとも作者の中できちんと「設定」として言語的に構築されているかどうか。これがゆるゆる・ふわふわだと、どうにもSFとしてしっかり建たない。背骨がない感じになる。

例えば「空飛ぶ車」というガジェットを考えてみる。どのようなテクノロジーがあれば空飛ぶ車が可能となるだろうか。また、単に技術的に可能であるだけでは、社会的に実現はしない。今現在のテクノロジー水準であれば空飛ぶ車は充分に作れる。が、社会的に広がっていないのは、空飛ぶクルマのコスト(製造、維持、運転手の育成、法整備などなど)が高すぎて、必然性がないからだ。仮に技術的ブレイクスルーで空飛ぶ車の製造コストが下がったとしても、インフラとして定着するには現在の各種交通インフラとの競合に勝たなければならない。なにがあれば・おこれば、現在のインフラから空飛ぶ車への大転換が可能になるのだろうか。

また、社会に空飛ぶ車が実装されたときに、人間と社会にどのような変化がもたらされるだろうか。流通コストの低下、空の渋滞、運転技術の自動化…だけだろうか? 建築物の高層化、交通事故や自動車保険の変質、人々の空間概念の変化…などもあるだろう。科学と社会がガジェットを産み、ガジェットが人間と社会へ変化を与えるという循環的なダイナミズムに、ガジェット/キャラクター/プロットが有機的に連動すると良いSF作品が誕生する。と、個人的に思っている。

SF作家は基本的にそれを一人でやり、小説家ならコツコツと言語化していく職人的な技術が求められるわけだが、発想をふくらませて、ああでもない・こうでもない・これはどうか・あれはどうかと議論・共有することは、きっちり枠組みさえ作ってしまえば、誰にでも体験できるのだ、というのが本書の教えてくれるところだ。私もSFプロトタイピングに参加してみたいものだと思った。(のだが、どうやれば参加できるのであろう)(2021年7月5日)

追記(2024年7月15日)

プロトタイピングやってみたいなぁ、といってはや3年。あいかわらずやってみたくはあるが、どうしたらやれるのだろうか。

書評では「空飛ぶ車」を例として出したのだが、空飛ぶ車が想像されたものの実現されなかった理由を考えるのは、なかなか面白い。実現されたなかった、というのは現実的に開発のための新技術やコスト、法整備ふくめた社会の受け入れ体制がついぞできなかったからだ。せいぜいが荷物運びドローン(それでも十分すごいが)。なぜ空飛ぶ車が想像されたのか? 人類史において距離・空間の支配が、支配の中心的なモードだったからだろう。より遠く、より高く、より広く、行動できる。地理的な支配を広げること。宇宙開発時代に書かれたSFは、飛行機のようなカジュアルさでロケットに乗り、高速道路を運転するがごとくワープ航法で他の惑星へ移動する。ところが、現実世界では人類が月より遠くに行けそうにない…ことが明らかになると、やがてSFの世界でも「地理的な支配」に代わる、「支配する新しい空間」の創出が求められた。SFは予言ではなく、科学がある世界についての物語、人間と科学の想像的関係を描く文学である、というのはこういう事態を指している。という点においてSFプロトタイピングは、SFならではの想像力/創造力を鍛える良いトレーニングになりえる。


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