男が男を支配するために利用される〈フィクションとしての女の目〉――澁谷知美『日本の包茎 男の体の200年史』(筑摩選書)

仮性包茎は恥ずかしいというのは美容整形外科医が患者獲得のために広げたもの。あるいは、仮性包茎という概念もまた美容整形外科医が患者獲得のために広げたもの。本書はこのような巷に広まる仮説を検証するから始まる。結論を言えばこの二つの仮説はともに誤りである。美容整形外科医「だけ」の力で包茎=恥が広まったわけではないことが、古くは江戸時代までさかのぼる史料によって明らかにされる。仮性包茎という概念もまた、戦前にはすでに登場していた。

といっても、第3章(1970年代から90年代という区分)で語られる、美容整形外科医が包茎=恥の一大キャンペーンを展開し、男性週刊誌にカッコつきの「女性」の意見と自分の病院の連絡先を乗せた記事という体裁の広告が出てからの包茎=恥言説の流布の勢いはすさまじい。いわゆる仮性であれば手術は不要であるという医学的な事実が共有され、手術によるトラブルの事例が報告され、ようやく美容整形外科医たちも「手術は不要である」と言うようになったのはここ最近のことだといっても良い。

ジェンダー研究をする女性である筆者が、なぜ男性の包茎を医学ではなく言説史という観点から研究したのか。包茎言説は、男が男を支配するために〈フィクションとしての女の目〉を用いる。このため男性間の支配―被支配やそこで発生する搾取を、本来であれば非難されるのは男であるのだが、〈フィクション化された女〉を媒介とし女へと敵愾心が向けられる。これは包茎に限ったことではない。「ハゲ」「低学歴」さらには「男性は一家の大黒柱」でも何でもよい。女性が男性に期待するだろうジェンダーロールを男性が勝手に考え自縄自縛に陥る。それはカッコつきの「女性」、本書がいうところの〈フィクションとしての女の目〉なのだが、男性たちの間ではリアルな女性の声として流通する。程度の差はあるのだろうが、包茎言説にはこの現象が顕著ではないか。男性週刊誌は「包茎は不潔」「短小」「童貞っぽい」「早漏」だと語る「女性」たちを登場させる一方、そもそも女性たちが男性の身体への知識を持ち合わせていないことを「無知だ」と非難する。自分たちの矛盾する振る舞いに気付いていないのは、リアルだろうがフィクションだろうが女性を登場させることで男たちから搾取をしようとする別の男たちだ。

筆者は男性から女性への暴力を考えていく過程で、男性同士の間での暴力(搾取、支配、権力構造)が根本的な問題ではないかと気づき、一例として包茎言説を膨大な史料で分析している。男たちの性的身体は「女(彼女、恋人、妻)のため」といいながら、つねに/すでに他の男にしか向いていない、という筆者の指摘は鋭い。(2021年5月20日)

追記(2024年6月19日)

”Menfluencer”(メンフルエンサー)という存在を先日、知った。男性+インフルエンサーのことで、インターネット(SNSやYouTubeなど)で、「いかにして男らしくあるべきか」をとうとうと語る人たちである。筋トレ、肉食、禁欲(マスターベーションやポルノの禁止)などを推奨する。日本のYouTubeだと「マジで危機感もったほうがいい」の人を思い浮かべればOK。様々なデータ(仕事、教育、人間関係、幸福度など)から「男性の失墜」が指摘されている。「失墜した男性」の心のよりどころとしてメンフルエンサーが参照され、彼らのアドバイスの中には、「それなりに」有用なものもあるのだろう。が、ミソジニーと地続きで、「女性と関係性を築きたい」とう願望に対して、「男の考える女性像」を提示しているのは、澁谷知美が言うところの〈フィクションとしての女の目〉と共通する。男が考える女は、どこまでも男のものでしかなく(人間的な他者がいない)、それで良いというのであれば、それはボーイズクラブのマッチョ競争内から出ることにならない。「それでよいのか?」と私は問うが、「それでも良い」という答えが返ってきたときに、さてどうすればよいのか。

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