こうして本ができた
本が出ました。Amazonでポチると手元に届くようです。まだリアル書店には足を運べていないので私は確認できていませんが、今週末には書棚にも出始めるのではないかと思います。
今回の記事では、1冊の本にまとまった経緯をふりかえりたいと思います。
商業誌にデビューするまで
そもそも私は大学SF研究会に所属していて、以前書きましたが、そこでは読書会をやり年に1~2冊の文芸同人誌を作っていました。同人誌ではSFの創作とレビュー(評論)がメインで、今ふりかえってみても、よく書いたと思います。質はともかく、量はたくさん書きました。読むこと・書くことに抵抗がなかったこと、時間はたくさんあったこと、それから仲間と一緒にやるのが楽しかったこと。理由はいろいろあると思いますが、自然と読む・書く練習になりました。
大学院生になって『ユリイカ』のアーシュラ・K・ルグィン特集に原稿を書いてみないか、という話をいただきました。ル・グゥインは読んでいたので、大学院で研究対象にしていたジェイムズ・ティプトリー・ジュニアと比較する評論を書きました。これが商業誌のデビューとなります。2007年のことで、いまから14年前になります。この原稿はだいぶ加筆訂正して『ポストヒューマン宣言』の8章になりました。
その後、大学院在学中に、早川書房が主催していた日本SF評論賞に投稿します。第1回大賞を受賞した横道仁志さんが同世代の大学院生ということを聞き、彼の原稿を読み、おおいに触発されました。取り上げたのはグレッグ・イーガンで、当時SF研ではイーガンがむっちゃ流行っていて、サークルメンバーと読書会で議論したり、同人誌にレビュー原稿を書いていたり、とても気になる作家だったからです。「しあわせの理由」「適切な愛」「祈りの海」という3作品を精神/身体という二項対立で読み解くといういささか「つぎはぎ」感のあるものでしたが、大賞には届かなかったものの優秀賞をいただき、早川書房の『SFマガジン』に掲載のはこびとなりました。この原稿も『ポストヒューマン宣言』の4章に再録しました。
で、以来、商業誌でぽつぽつと評論を書いてきました。書評、インタビュー、翻訳、評論などさまざまですがオーダーをいただいたらそれに応えるというスタイルでした。読書会・研究会にも参加し、中には限界研のようにテーマ評論集を共著として出せるグループもありました。いわゆる「同業者」たちとディスカッションし互いの原稿を読みあうことは、非常によい訓練となったと思います。(これは余談ですが、最近は、アウトプットできるかどうかはともかく、サークル以来長くやっていた読書を楽しむ会(読書会)をやれていないので、今後やっていきたいと思っています。)
本にまとめる作業を始める
で、原稿はけっこう書いていても、来た依頼に応えるいわば単発原稿中心でした。原稿の量として本1冊分はゆうにあっても、内容・テーマとして本1冊になるかというと、そういうわけではありません。単著(自分1人で1冊の本を書く)が名刺代わりになる、ともよく言われ、「いつかは単著」と思ってはいたものの気が付けば30歳を過ぎ、というかもう40歳になりそうです。マジか。
ゴールは見えないもののとにかく動いてみようと思ったのが2年前でした。今まで書いた原稿を読み直し、気になるところを書き足してみました。また誰にも頼まれていないけれど、書いてみたい原稿を書きました。今までのもの+書いてみたものを配置していくと、なんとなく一本の線(テーマ)が見えてきたように思いました。で、コロナ禍になり、いったん作業はストップします。
新しい生活様式(?)を模索しようやく少し落ち着いた頃、作業を再開します。自分の原稿直す作業が止まっていた間、国内&海外SFベスト20を選びレビューを書く、という依頼原稿を書いていました。分量は短く、わりと入門者向けのものなのですが、こうした「SF史」を自分なりに見直す&書いてみる作業は、SFというジャンルを考えるよい機会になりました。
また、実は2021年に入ってから(なんとなく)酒を飲むことを止め、原稿読み・書きする時間が増えました。医者に止められているわけではないのですが、自分で酒を飲むタイミングを失ってしまい、「だったら本を読むか」「だったら映画見るか」「だったら原稿書くか」と夜の時間を使い、作業が進みました。
「目次が書ければほとんど完成している」と以前、友達のライターに言われたことがあります。そこで前書きとそれに合わせて目次を考えました。すでにある原稿と2年間で書きたしたものをテーマごとに配置しました。当初はSFという大きな枠の中で「ポストヒューマン」「ディストピア」「言語」の三部に分かれるという構想でした。ところが、いざ目次を整理していくと「ポストヒューマン」だけでかなりの分量=10章になることが判明。だったら、これで1冊にしてしまおうと決めたあとは、動きが早かったです。
とにかく「ポストヒューマン」を集めていけば良いのです。本のテーマが決まった後は、原稿の取捨選択、加筆修正の軸がしっかりあるので、迷うことはありませんでした。読み・書きの労力はかかりましたが、「どうしよう」という悩みはほとんどありませんでした。
全10章のうち商業誌に載ったものをもとにしたのが4章。先に触れた『ユリイカ』ル・グィンおと『SFマガジン』のイーガンに加えて、『三田文學』のポストヒューマン論と『ユリイカ』の『寄生獣』論でした。あとの6章は書下ろしです。
依頼されなかったが自分が書きたい原稿は3段階のアウトプットを意識しました。①読みながらメモを取る、②メモをもとに書評・レビューを書く、③複数の作品を比較しながら評論を書く、です。ただ読んで・見て終わりではなく、メモ→レビュー→評論と段階的にアウトプットしていく。読んだ・見た直後に時間がどれくらいあるかでアウトプットのレベルを変えて、臨機応変にやりました。
一通りまとまったら、前書き・目次をつけて本文とセットで、(出版が決まったら帯文を書いてもらうことになった)巽孝之先生に相談をしました。すると小鳥遊書房という出版社を紹介していただき、編集者の方に原稿を読んでいただくことができました。企画書だけではなく現物=原稿がそれなりの形になっていたので、あとは話は速かったです。「これで行きましょう!」という話になったあとも、えんえんと直す作業はあるのですが、書いていた時の「この原稿はどうなるのだろう」という不安はなかったので、気持ち的には楽でした。(といっても、出版するしないがはっきりしていない段階でも「とりあえず本の体裁にまとめてみる」というモチベーションはありました。自分の評論生活って何なのだ、というヤツです)
大変だったこと
本1冊まとめてみて、大変だったのは、参考文献を手元に集めることと、細かい事実確認をすることでした。何気なく暇つぶしに読んだ本を参考文献として使いたい時、家の本棚から発掘できず図書館で取り寄せました。で、入稿したあとに家の本棚のかなり目立つところにあってガックリきました。評論で使おう!と思ってガッツリ、メモとったり線引いたり、重要なページをコピーしたりということはしていない本を資料としてそろえるのが、予想以上に大変でした。
あと、昔に読んだ本や見た映画の知識が、かなりあいまいで、思い込み/思い違いもあり、改めて作品を見直すと、あれっということもありました。これは前から感じているのですが、私はどうやら本の内容を忘れることがけっこうあって、それなりに血や肉になっているのだと信じたいですが、物語のディティールは抜けていることも多いのです。楽しみとして小説を読むのであれば、同じ作品を何度も楽しめるので、いいっちゃいいですが。評論家として致命的っちゃ致命的です。なるべく書く直前に読み直す、書きながら読み返すのがいいと思いました。この辺の反省は、次に活かしたいです(次があればなんですけど)。
本書あとがきにも書いたのですが、つまるところ自分はSFが好きで、「SFとは何だろう」「この作品のどこがSF何だろうか」とずっと考え・書いてきたのだなあ、と分かりました。本書はジャンルの水準で考えることと、作品とジャンルの関係を考えることの2層構造になっています。
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