無意識データ民主主義の欠陥ーー成田悠輔『22世紀の民主主義』(SB新書)評

民意データ(インプット)と、社会的意思決定(アウトプット)のあいだに計算式(アルゴリズム)がある。投票だけではない様々な民意データを集め、アルゴリズムによって意思決定していけば、国民は選挙に行かずとも民主主義が成立するのではないか? と(挑発的?)に成田は問う。大規模なデータ収集と適切なアルゴリズム構築で、選挙よりも良い民意反映システムを作れないか、という発想は成田に限った話ではない。成田も参照している東浩紀『一般意志2.0』がすぐに思い浮かぶが、その東浩紀も近著『訂正可能性の哲学』では、アルゴリズムによる民意の集約には問題があると、指摘している。

成田がどこまで本気で無意識データ民主主義を主張しているかわからないのだが、無意識データ民主主義には根本的な欠陥がある。それも2つ。

1つ目の欠陥は、何を「民意データ」として選ぶのか、決まっていない点だ。Apple Watchといったスマートデバイスを身につければ、個人の身体・生体情報もかなりの程度、収集できるだろう。そのデータの全てを「民意データ」とするのだろうか。それとも、集まったデータのうち「民意」と言えそうなものを取り出すのか。あるいは、新しいスマートデバイスが出たら、さらなるデータを民意に統合するのか。スマートフォン、SNS、ウェブの使用履歴もデータはデータだが、すべてを民意とするのか、それとも選別するのか。すべてであれば、使っている人使っていない人で差が出てくるが、誰のどこまでをデータとするのか。…を誰が決めるのだろうか? 投票という行為で民意が表現されていないというのならば(事実、そうだと思うが)、ではその人間の民意はどこに表現されるのだろうか? その人間をまるまるコンピューター上に再現すれば、民意も再現されるのだろうか? つまり私が言いたいのは、民意というのは選挙という投票行動によってのみ表現されるもので、個人の意識/無意識がすべて表現されるわけではないのだ。そもそも。そんな個人を全部表現した民意があったら、共同体は運営できない。

2つ目の欠陥は、アルゴリズムは作ることができるし、公開することもできるが、アルゴリズムの結果を評価するのは誰なのか、決めなければならないことだ。社会的意思決定を民意データのアウトプットとするが、ひらたくいえば「法律」である。たとえば、選択的夫婦別姓を認める法律を作るとして、民意の何%が賛成であれば良いのか。アルゴリズムは民意を数字で表現できるかもしれないが(それもイシューによっては怪しいが)、表現された数字の意味を評価するのは誰なのか。選択的夫婦別姓のように、賛成反対が二者択一で表現されうる法律は、まだ良いかもしれない。たとえば所得の再分配といった二者択一で決められない問題は、どのようにアルゴリズムの結果を評価すれば良いのだろうか。無意識もデータとして吸い出すとあるが、人間の認知バイアスも表現されるだろう。認知バイアスを認知バイアスとして認識し「修正」をするのか、それとも認知バイアス込みのデータこそ「生データ」だとして修正せずに使うのか。

この2つの欠陥は、無意識データ民主主義が抱える根本的欠陥で、データの量を増やしてもアルゴリズムを公開(透明化)しても解決されない。成田がこの欠陥に気づいていないとも思えないので(私ですら気づいているので、私なんかより頭の良い成田であれば、十分わかっているだろう…)、どこまで本気で言っているのか、いまいち量りかねるのだ。それが『22世紀の民主主義』の印象。

かといって、私もいまの選挙制度がうまくいっているとも思わない。ただ、選挙は「人を選ぶ」行為であって、必ずしも政策を選んでいるわけではないのでは? という気もする。政策議論はしなければならないし、政策が重要ポイントであるのは大事なのだが、それだけで決まっているわけではない。裏金を買収に使うスキームを確立した政党が与党でい続けられるのも、有権者が人間であるからだろう。それが良いとは決して思わないが、政策だけで選挙が勝てるわけではない。それに政策は、評価するのが難しい。たいはんの有権者には謎である…。

民主主義が機能不全になりつつあるのは、メディア環境の変化(とりわけインターネットとSNS)だと成田は言う。この問題を克服するのが無意識データ民主主義、というのかもしれないが、問題は解決していない。インターネットとSNSは、人間の「愚かさ」の表出を大規模で可能にした。愚かになったというか、もともとあった愚かさ(各種認知バイアス)が容易に表出するようになった。となるとメディア環境をデータ抽出+アルゴリズム処理によって脱人間化したところで、データ参照元の人間が変化しないかぎり、結果にも変化は期待できないだろう。人間をテクノロジーで賢くすることもできないので、人間のもつ賢さと愚かさをそのままに、それでもうまくやっていくにはどうすればよいのか、地道に考えていくしかないんじゃないか。と、当たり前の結論になってしまった。


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