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散歩。

散歩をしていると、ついたくさん考えてしまう。
見えるもの全てが素晴らしく感じて、自分はなんて薄っぺらで面白みのない人間なんだろう、と思う。
今日はそんな日だった。

昨日の夜からちょっとだけ思考が暗いほうへ向かってしまっている。
卒業制作の形で悩んでいるのである。
ミーティングではこのまま進めていいと言われたものの、「なぜその表情になるのか」「テーマとしてこれを描く理由は」といくつか言葉を投げかけられた。

自分でもわからない。
描きながらどこかもやもやしてたのは、この絵に明確な理由がないからかもしれない。

そこを埋めるのにちょうどいい形だったからそれを描く。
それだけだった。考えながら描くんじゃなくて、直感でやってきた。
だからこそ、言葉にすることがとても難しい。

私でもわからないような次元で繰り広げられていることだから、全て後付けみたいになるのも嫌だった。自分に嘘をついているようで。

なぜ私が少女を描くのか。
これは先生と話してみて、確かにと思ったものがある。
『子どもと大人の中間』だから。
そしてそれは私自身でもある。
大人になりたくないし、大人にはなりきれない。
もどかしい気持ち。

それらを表現するのに、少女がちょうど合っていたのだと思う。
少女の持つ危うさや儚さが、ぐちゃぐちゃとした私の心情と混ざり合って。
単純に好きだからというのもあるが、その理由の一つも多感であること、なのでこの考え方は正解なのかもしれない。

こういったことを考えていると、私じゃなきゃいけない理由とか描くことの意味とかも考え始めてしまい、楽しく描けなくなる。
ただ楽しく描きたいだけなのに、本体である自分に価値を感じられなくなる。
描いてるものまで、良いものなのかわかんなくなる。
絵も薄っぺらくなってしまったら、自分に生きている意味はあるのか。

本当にこのままでいいのだろうか。
ちゃんと制作できるのだろうか。
怖いな。

描いてた絵たち。没になりそうだけど…
弱く感じてしまうのだ。見ててもやもやするくらいなら描き直してしまおうと思う。




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