蜜の館の見世物

蜜の館はオトナしか入れない。なかになにがあるのか、子どもたちは興味津々だ。オトナたちは、皆、男も女も夢見たあとのように、嬉しそうに、でも名残惜しそうに館から出てくる。

ある子どもが、館の裏口の排水管をよじのぼって、館への潜入をこころみた。
子どもは、驚いて声を失った。

たったひとつ。巨大な水槽。

それを囲んでテーブルがあり、イスがあり、宴会場になっている。テーブルクロスが敷かれてきれいな食事処である。

ただ、でも、なんで水槽だけが?

目を凝らすと、あちらも、目を凝らして返してきた。魚を女にしたような、魚女が一匹、その水槽に閉じ込められていた。

3メートルはあろう。尾が長く、腕よりもながいヒレがある。ウロコは七色よりも多くの色に彩られて万華鏡のように光を宿し、美しかった。女の髪も透けていて金色に見えた。3メートルもさらに長く、女の髪は、水槽のあちこちに散らばっていた。

上半身にはこぶりな乳があって、形もきれいで、情欲とは無縁の体と見えた。無機物を思わせる、その在りよう。

不死なる命に皆が見惚れる、囲っては食事をしながらそれぞれ想いにふける、永遠に想いふける、この世とは断絶された館のなか。魚女を食べれば死ぬかもしれない、けれど不死身になれるかもしれない、けれど死ぬかもしれない、葛藤を味わう毒と蜜の館。美しさは毒であり蜜であった。それを体現して有機物として生きる、毒と蜜の正体こそが魚女そのものであった。

しかし、今は、子どもが単に見惚れているだけだから。

魚女は、このうえなく美しく、天女さながらに微笑んだ。
魚女がここに閉じ込められてから、初めて見せた、心からの微笑みであった。

それに魅了された子どもが、やがて育ってオトナになり、見世物小屋を壊そうとするのは、それから数年先の話である。
魚女は逃されたのか、はたまた食われたか、それとも娶られたか。

それは、見世物が終わったあとの話なので、彼女と子どもしか知らぬ話だ。


END.

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