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【練習】錦糸町の夜

 ここは錦糸町の居酒屋。長机の隣の客は笑って何度も肩をぶつけてくるが一向に謝らない。こちらも負けじと無視を決め込む。
 ジョッキの下の方にリキュールの色が溜まっているので、まだ綺麗な箸を突っ込み、回す。下品だなと、慌てて引き抜く。向かいの男は重い前髪をしきりにつまみ伸ばして視界を狭めているので、見えていないかもしれない。何事もなかったかのようにジョッキをあおる。

「後藤サン、久しぶり。来てくれてありがと」

 男はいつの間にか前髪から手を離し、箸で氷を回している。なんだ、こちらもしっかり混ぜておけばよかった。

「こちらこそ、思いがけない連絡で嬉しかったよ。なんで声かけてくれたの?」

「インスタ見てさ、最近活発にしてるじゃん?俺とも遊んでくれるかなって思って。なかば賭けよ」

 確かに最近よく更新している。ストーリーズもまめに流し見しているし、自分でも何かあるとカメラを向けるようになった。あの頃の私からかけ離れた自分を、日々同級生に見せつけている。なるほど、それで行けると思ったのか、おめでとう。

「あー、最近楽しくてさ!やっと自由になって、今まで使いこなせなかったアプリとかなんでも使いたくなっちゃうんだよね。見てくれてありがとう」

「そうだよな、昔はマジメちゃんって感じだったもんなぁ。話かけたらいけないオーラまであったよ、実際」

 男は頷きながら唐揚げに箸を伸ばす。私の何を知っているのだろう?

「そんなことないよ!人見知りだったっていうか、人と話すの緊張するんだよね」

「親に色々制限されてた、とか?いたよ、男にもそういう奴」

やはり頷き続ける男は、今度はジョッキを軽く傾けた。それで納得してくれるなら、それでいい。

「うーん、まあそんな感じだよ。もう自由なんだ。いっぱい遊びたい!」

「じゃあ今度どっか行こうよ。実は昔、後藤サンのこと気になってたんだよね。今こうやって飲めるなんて、奇跡かも」

 なんて、調子のいいことばっかり。でも今はそれがありがたい。私も調子よくそれに乗らせてもらおう。

「なんかありがとうね。そんなこと言われたことないから、嬉しい」

「いやいや、俺なんかと会ってくれて、まじ天使って感じ。リコちゃんって呼んでいい?あと、なんで俺と会おうと思ったの?高校の頃そんなに接点なかったのに」

 行けると確信したのか、ニヤニヤと擦り寄ってくる。長机が彼を留めている。

「なんて呼んでくれてもいいよ。会おうと思ったのは、同級生から連絡が来て懐かしくなったからだよ。あと……」

「あと?」

 前に乗り出し、顔を近づけてくる。目が合う。瞬間、それが私のもっと奥を見ていると気づき、つい目を逸らす。

「あとはなんというか、薄めるため、だよ」

「薄めるため?」

 さっぱりわからないといった風に復唱する。言わなければよかったと後悔する。

「嫌なことがあったの、だからいろんなことをして忘れたいなって思って」

「何があったの?俺で良ければ話聞くよ」

 ああこれが噂の、と一人で納得する。

「大したことじゃないんだけどね、彼氏と別れたんだ」

 本当のことを言っている、嘘ではない。三年付き合った彼氏と別れた。悲しくはない、恐怖と不快感だけが残っている。

「彼氏いたんだ!誰?同級生?」

 なんという厚かましさか。もう親しくなったと錯覚しているのだろうか。

「いや、四つ年上。多分知らないと思う」

 付き合った当初の彼は大学二年生。私を管理していた。

 位置情報アプリを入れられ、S N Sは使うことを許されず、唯一使えたLINEも会うたびにチェックされていた。友人関係も厳しく、遊びの誘いを断るたびに友達が減っていった。おぞましい。まだ子供だった。これが愛だと思っていた。愛故の管理だと思っていたのだ。

「大人だね。なんで別れちゃったの?」

「うーん、価値観の違いかな?なんだかこういう風にいうと、解散するバンドみたいだね」

 これも本当のこと。私が大学生になり、大海に出たから、今までがどんなに異常な状態だったのか思い知ったのだ。

「ふぅん、まあ円満解散だったのかな?またいい出会いがあるといいね」

 他人事だと思って呑気な男だ。円満解散なんかじゃないし、もう出会いなんていらない。今でも自分の家にあの男が押しかけてくるんじゃないかとビクビクしているのに。彼氏とはいえ、迂闊に他人に家の場所なんて教えるもんじゃないんだ。 
 そして、私の人生に男なんて必要ないと言う結論に至ったのだ。好きになる労力も、好きを続ける耐力も、好きでいてもらうための努力も、もう使い果たしてしまった。しばらくは恋愛なんてしなくてもいい。
 それでもなぜか、私の体は男を欲する。
 あの行為は心地よくはない。なぜ自分に利のない行為を続けているんだろうか。これも薄めるためなんだろうか。これを続ければ薄まって、自然に恋愛に向かえるようになるんだろうか?何を薄めているんだろう?あの男のことしか知らない自分の記憶?それとも体?

「まあね、相手も大人だから。出会いは……今日もあなたとこうやって出会えたし、きっといい出会いがやってくると思ってる」

 ここで目の前の男の目を見れば、また今日もあの男の記憶が薄れていく。ついでにニコッと笑ってやる。目の前の男は確信したのか、ジョッキをグイッと一気に飲み干した。

「たしかにこれもいい出会いだね。ところでさ、リコちゃんさえ良ければこのあと俺の家、こない?前にインスタで載っけてた小説の映画、見れるよ」

 きた。これでまた分母が一つ大きくなる。

「いいの?ストーリーズ見て覚えててくれたんだ、ありがとう!」

 嬉しそうな声を出しながら、心は躍らない。必要ない義務感を感じながら、いつもこうやって男の誘いに乗っかってしまう。いつまでこんな生活を続ければいいんだろう。いつになれば私は幸せになれるんだろう。少なくともこんなことを続けていたんじゃ、私に幸せはやってこない。
 そんなことを思いながら私たちは居酒屋を後にする。
 錦糸町の夜は煩くて、少し冷たい。

あとがき

 五年ぶりに文章を書きました。ワンフレーズ思いついたので、そこに至るまで書いてみました。そもそも書くのは難しいし、質の良い文章ばかり読んでいるもんですから、自分にもそれを求めてしまって尚書きづらい。あまり納得のいく文章ではないけれど、人の目に触れさせるのも良いんじゃないかなと思って投稿しました。虎にはなりたくないですからね。
 また何かいいフレーズを思いついたら書きます。
 また読んでくれると嬉しいです。


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