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2021年5月、死生観、40歳女性

自分を満たして満たして

もう、やりきったと思った。

「死にたい」わけではない。ただ、「死んでもいい」だけのこと。

だけど人は都合の良いように、自分の聞こえるように解釈する。

生に執着する人は「不謹慎だ」という。
死を怖がる人は「娘さんはどうするの」という。

結局、今、死を怖がる人は
「息ができなくなるのが怖い」のだ。
「心の音が止まるのが怖い」だけなのだ。

健康で文化的な生活が人間らしいのに
それを全部放棄してでも生にしがみつこうとする。

なんて、哀れ。

周りへの思いやりを忘れて、自分の頭で考えることをやめて。
ただ添加物たっぷりの食事を摂って、恐怖心を植え付けられて、
「怖い怖い」と言いながら奴隷のように過ごす。

私は、そんなの嫌。
生きがいも死にがいもなく、体を蝕まれながらこの世を去っていくなんて。

ねえ、みんな、なんのために生まれたの?

好きな人と愛を伝え合うためじゃないの?
大好きなひとたちとハグするためじゃないの?
仲間とおしゃべりするためじゃないの?
人のためになるような仕事をするためじゃないの?
風を感じて、花を愛でるためじゃないの?
楽しいこと、たくさんするためでしょう?
悲しいことも悔しいことも全部味わうためでしょう?

私は、明日死んでもいいという気概で生きている。
仲間と会う。大切な人に愛を伝える。メイクする。眠る。
生理痛だって全力で痛がる。ごはんを食べる。
意地悪されたら腹を立てる。

だからいつ死んでもいいのだ。

一旦その執着手放してみたら
本当に大切なものが見えてくるんじゃないかな。


ありがとうございます。あなたが大好きです。

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