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ACになったときに、身についていたいチカラ

AC=アフターコロナです。

今、オンライン○○の需要が高まり、いたるところでオンライン飲み会、セミナー、交流会、レッスンが開催されています。

私も何件か参加し、そこで思ったことを今日は残そうと思います。

面白い!とか、ためになった!と思うオンラインなんたらと、なんかちょっとグダってしまったな、と思うオンラインなんたらの違いは
ファシリテータ―の腕にかかっているような気がしました。
(愉快な仲間とのダラダラ会話は、ダラダラに価値があるのでそれはそれでよい(笑))

ファシリテーション講座の概要をポツポツ見ると、
「WSの設計がファシリテータ―の最初の役割」という言葉を見つけました。

会を何のために開くのか。テーマの設計ですね。
長期的なものの場合、今回はどのステージなのかとか
どういう人に参加してほしいかとか、
会のモラルとか決まりごととか
何を持ち寄ってほしいとか、そういうもの。
今回は何を話してつくっていくのか。

そういうものが設計、設計までいかずとも共有化されている会は
そうでないものと比べて、内容の理解度も早く充実したものになるとお見ます。

オンラインなんたらは、変な話、片手間に参加できてしまうので
(それが良さであり、難しさでもありますが)
参加社の注意を引き付け続けるのは、結構難しいなと思っています。

TVを見ながら、SNSを見ながらも参加できるので。
オフラインだと、場の空気や周りの人との距離もあってそうはなりにくいのですが。

オンラインなんたらを良い時間にするには
かなりのファシリテーション能力が必要だと思っています。


オフラインに戻っても、ファシリテーションの力は必要なのではないか


新型コロナウイルスが落ち着いて、オフラインで人が会えるようになった時。
東日本大震災の後も「繋がり」「絆」という言葉が叫ばれましたが
今回もより、その言葉の意味が濃く、重く、叫ばれることになるのではないかと思います。

人は一番、孤独に弱い。コミュニティに属したがる生き物です。

今後は一層コミュニティというものの重要性が高まると思っています。

私は常々、「孤独」というものを、どうやったらなくせるんだろうと思っていました。
認知症が進んだ祖母を見て、産後の孤独だった時期を経て、
家族以外の場所が人間には必要なのではないかと思うようになりました。

今、家族以外の場所を求めて
オンラインなんたらの需要が高まっているのであれば
オフラインになったとき、その反動がありそうな気がします。

これは私には少し嬉しいことです。
「コミュニティへの参加」のハードルが低くなればいいなと思っていたから。

その時、自分には何ができるだろう。

自分は今、これまでの繋がりをもとに、
何かしらのゆるいコミュニティを作れたらいいなと、ひそかに思っています。
ママさんバレーでもいいし、パパさん水泳でもいいし、なにか。

そういうものを裏でそっと動かして、その場にいる人が楽しくなればいい。

そういうことをしたいなと思っています。
(そこに表現とかデザインとかが入ると私大好物)

なので、今欲しい力は

・企画力
・面白い人間力
・繋がり

そして、「ファシリテーション力」

会を何のために開くのか。テーマの設計ですね。
長期的なものの場合、今回はどのステージなのかとか
どういう人に参加してほしいかとか、
会のモラルとか決まりごととか
何を持ち寄ってほしいとか、そういうもの。
今回は何を話してつくっていくのか。


ここらへんを設計して、人を集めて、流れを決めて、その場を回す、
そういう力。

テーマ設計やどういう人に参加してほしいかとかの設計は
普段の仕事でもやっているのですが
その場を回すのは依頼している講師の方なので
私はその場にいるだけなのです。
回す経験はない。

一気通貫して、運営する力がほしい。
そしてコミュニティを緩やかに、小さく生んで終わらせてを
繰り返していきたい。

ゆくゆくは、孤独に苦しむ人が少なくなればいいな…と
夢のように思っています。

ACになったとき、自分にファシリテーション力がついているように
したいなと思っています。

が。

ファシリテーションって結局経験しないと身につかないと思うんだけど
どうやったらいいかな~…
どっかで講座とかあるのかな…?

ご存知でしたら教えてください。

さて、今日も在宅勤務。
仕事はしっかり家事は放棄して頑張ります。

それでは!



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