広報担当者自身の”広報”について
つい先日、「とある広報さんが主催する、広報さん同士の数十名の集まり」に関して、その集まりが平日日中に大々的に開催されていることに対し、「それは仕事と言えるのか?その集まりに参加するって会社は本当に賛成なのか?」みたいな感じで「広報担当の在り方論争」みたいなものがX(Twitter)上で繰り広げられ、ちょっとした話題になりました。主催者も、参加されている方々も、私自身よく知っている皆さんを指した投稿だったため、正直、ちょっと心がざわざわした出来事でした。
そもそも私はこれに関して是非がどうとか、言うつもりはないんです。それぞれ考えは違うので、賛成派も反対派もいていいと思うんです。ただ、発端となった投稿から少し経過し、参加していない広報職の方が、参加している&参加したことがある広報職の方に対して、おそらく自分は参加したこともない&参加している方の事情も全て把握していないであろう状況で、ひとくくりにその会合を非難されていたのは、とても残念でした。(ご本人は非難ではなく、正義感の元にご指摘されたのかもしれないですが、私個人としてはとても攻撃的だと感じたし、非難しているように聞こえてしまったという受け手としての感想です。大事なので2回言います、感想です。)
そこで、これを機に、広報担当者は自分自身の「広報」について、どう向き合っていくことがいいのか、どんなことに注意をしなければならないかを改めて考えてみました。
そもそも広報とは?
「広報・PR活動」とは「Public Relations(パブリックリレーションズ)」の頭文字で、ステークホルダーとの関係性を良好に築くこと。簡単に言えば、自社に関係ある皆さんと、仲良くなること。仲良しでい続けることだと思っています。その「仲」を取り持つのが広報さんというところですかね。昔で言うと仲人さんみたいな感じでしょうか?
仲人さんは、お嫁さん候補とお婿さん候補を引き合わせ、結婚まで導く方ですよね。だとすると、お嫁さん・お婿さん、それぞれの良い所を理解し、釣り書きに書いてあることだけでなく、もっと深い魅力を誠実に伝えなければなりません。お婿さんにとっては、どんなお嫁さんを欲しているのかな?と考えた上で提案しなければ、縁談はうまく進みません。仲人さんは独身男女を引き合わせるしかありませんが、実際に広報担当となれば、企業とメディア、企業と取引先、企業と株主など、あらゆる組み合わせが考えられ、それぞれの仲を取り持っていかなければならないのです。
よく「広報は黒子でいるべき!」「広報が目立つな!」とか言われることもあるじゃないですか?多分「仲人=黒子」なんだから、自分が目立っちゃだめでしょ?と言うことなんだと私は理解しています。
広報は会社の看板を背負っている
安易に「広報担当だから目立たなきゃ」とか「私も有名になりたい」と思っているのだとすると、ちょっと違う気がします。事業会社の広報だろうと、フリーランスの広報だろうと当然、広報の対象は「広報担当」ではありません。そこはしっかりとわきまえる必要があると思います。
しかし企業によっては、広報担当者個人の発信・発言を通じて、サービスや商品、企業そのものの認知拡大を図ることを目的にしている場合もあるでしょう。その場合はきっと看板を背負うことを前提に、広報担当者と企業のブランディングがミスマッチしないようコントロールし、戦略的に行っているのだと思います。企業と広報担当者のコンセンサスがきちんと取れているのであればこれも一つのやり方です。またフリーランスの広報からすれば、自分自身をPRすることで仕事を獲得すると言う側面もあるでしょう。
私もまだ理想を追求する過程ではありますが、フリーランス広報として信頼できる容姿・態度・スキル・話し方・センスってなんだろう?と常々考えています。セルフブランディングってやつですね。クライアントさんにとって恥ずかしくない広報でいることも意識していますし、「この人に仕事を頼みたい」と安心して依頼してもらうにはどうしたらいいかって、真剣に考えています。そのためのSNS発信や、体型維持、服選びなども考えています。
このようにフリーランスであろうと、企業の広報であろうと、広報担当者の発言・態度・行動など、細かなその一つ一つが、企業イメージや企業ブランドからかけ離れてはいけないし、違和感を抱かせてはいけないってことだと思います。SNSによって発信や表現の自由度を増し、身近・手軽になったからこそ、無意識なところでも誰が見ているかわからないし、誰に読まれているかもわかりません。当然、周りの人からすれば部分的にしか”見ない・読まない・触れない”わけで、一部分を切り取られ、判断されることもあると言うことです。
本人はそんなつもりはなくとも、普段ずーっと気をつけていても、何気なくふとつぶやいた一言、油断して発言した一言だけが切り取られてしまう・・・。意図や背景などを全く理解されず、写真1枚だけで判断されてしまう。そんなことが起こりうるなと、私も折に触れて反省することがあります。
まとめますと、
的なところでしょうか?あくまで私の考えなので、それぞれに思うことがあっていいと思います。ただ私は、ただでさえ理解があまり進んでいない広報という役割や仕事内容に対して、ネガティブなことは起こしたくなくて、多くの広報担当者が社会にとって必要な役割だと思ってもらえるよう、私なりにできることをしたい、という一心です。だからあの出来事後もスルーできなかった。そんな個人的な衝動なのですが・・日本のビジネスという世界において、もっと広報の必要性・重要性への理解が深まりますよーーーーーーに!そのためにも日々勉強、日々精進!
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