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存在しない境界線を引いて現れる傷、守られるわたし

渋谷のハチ公で土曜日に行われたウクライナ侵攻反対デモを、少し離れたところから見守った。
海外のそれに比べたら少なくても、密を徹底して避けるようになった時代に渋谷の駅前に人の群れが現れ声を荒げる人がいる。それだけで圧巻だった。

皆さんに大統領としてではなく、一人のウクライナ市民として話しかけている。2000キロ超の国境が私たちを隔てている。この国境に沿って、あなたたちの軍部隊が展開している。20万人近い兵士と数千の軍用車両だ。あなたたちの指導者は兵士たちの前進を承認した。よその国の領土へ、だ。
この一歩は欧州大陸での大規模戦争の開始になり得る。
あらゆる挑発行為や火花が全てを焼き尽くすかもしれない。

これはウクライナのゼレンスキー大統領から、ロシア市民に向けた演説。

ロシアのウクライナ侵略は、実際には8年も前から始まっていることで、日本で報道が始まった先週からのことではない。2014年にクリミアから始まり、何万人もの人がこの戦争で亡くなり、帰る場所をなくしている。

生まれてから39年間、本当はいつもどこかで戦争は起きていたことをかなり大人になってから知った。過去の世界大戦を忘れぬようにする大切さと並行して、今起きていて、知らなければならない戦争が本当はたくさんある。

どんなに呑気に今日を過ごしても、科学が発達して一般のおじさんが宇宙に行けるようになっても、コロナで夫婦がいつも家にいるようになっても、人間はいまだに戦争を止めることができない。いまだに!

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ところで、ロシアのウクライナ侵攻が始まったと報道された日、ささやかなことだけれど自分が営む店への口コミコメントで「常連が集う店。居心地が悪い」といったコメントが連投された。
本づくりのクラファンもしていて、盛り上がりを見せていた時でもあった。
タイミングを狙ってマイナスなコメントをする人もいるのだなあと思った。

私の店は三軒茶屋のまちに住む人たちで作ったコワーキングの中にあって、コワーキングの仲間は拡大家族のような雰囲気がある。同じまちに住んで、近所でよく顔を合わせていて、年代も近い。
団地ほど近くなく、少しだけ離れて住んでいて、イベントをしたり働く場を共有したり、中には子供同士・家族同士でも休日を共に過ごす。今っぽいコミュニティが上手に作られている。
手前味噌だけれど、昨今のコミュニティ形成のとても良い事例の中に自分がいると感じる。

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その中で一般に開かれた飲食店を営むということには、常連ができやすいという圧倒的メリットがあるけれど、一方でふらっと訪れた人には疎外感を感じさせるリスクもある。

できるだけ個人客には声をかけてお話ができるようにしたいけれど、手が回らない日もある。あ、今お帰りになったお客さまには嫌な思いをさせたかもしれないな。これまで営業してきてそう思った瞬間が何度かあって、その度に似たようなコメントが書き込まれた。

まあ、傷ついているか傷ついてないかと言われたら、だいぶぐっさり傷ついてるのだけど、SNS上のネガティブコメントは集約するとごく少数の人間が繰り返し書いているものだと思うので、そんなに気にしていない。

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このコミュニティ、巷で大ブームで、私がいるコワーキングには度々外部から「どうしたらこんなコミュニティが構築できますか」「コミュニティを作るお手伝いをしてください」という人がひっきりなしに訪れる。

何度同じことを聞かれても丹念に優しく答える代表の話を片耳で聞きながらキッチンで仕込みをしていて思うのは「コミュニティっていいものだけど、そんなにいいものかなあ」ということだ。

正直言って、ここに集い、輪の中に入れた人にとっては幸せなことばかりだとは思う。フリーランスが多いこともあって、コロナ禍でその絆はより一層強いものになった。
一方で、私の店のごく一部の顧客のように一瞬で疎外感を感じてしまい、輪の中に入れなかった人には、本来、引かれなくてもよかった境界線で世界の内側と外側に分けられたような気になるはずだ。

これが差別でなくて、何と言うのだろう?
そしてこの差別は、無くそうとして本当になくなるものなんだろうか。

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国家の存在価値が薄まり、企業に属さず肩書を捨てた働き方を求め、自由になろうとする風潮がある中で、同時にコミュニティがブームになる。

一人で生きていこうと気張らずに、価値観を共有できる人と心地よい距離の中で共に暮らすことを選択する。それはとてもすてきなことだけれど、自然と輪が生まれる前に、境界線を引こうとするのは人間が捨てたくても捨てられない性のようにも思えて、このコミュニティブームと、なくならない差別や戦争との間に関係性を見出して考えてしまう。

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コロナ禍でおきたBLMや、加熱するジェンダーレスの運動を見ていると、人は線を引かれることも嫌がるし、同じにされることも嫌がって、その線の間で行ったり来たりしながら苦しんでいると感じる。

見た目にはわかりにくい性差別よりも、見た目だけで判断されるのが人種差別だけれど、この人種は肌の色、体躯の違い、使う言葉のリズムが異なるから自然発生的に差別が生まれたと長い間、言われてきた。

だけど最近では、先に区別する心があって、その結果として"人種"が生まれたんじゃないかという主張がある。その区別する心が、境界線を引いて生まれたのが人種差別ではないだろうか、と。

ではなぜ、人は差別する心を先に持つのだろう?

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インド哲学で「自我(アハンカーラ)」という言葉がある。アーユルヴェーダの講義でこの自我の話をするとき、私はいつも一つの風船に例える。

私たちの心、意識とは風船のようなもの。ゴムの皮一枚だけが自分と世界を隔てている。
しかし人は自分と周りの違うこと・同じことに執着し、それを手放せず、いつもそこに苦しみを覚えて解放されることができない。

でも、ひと度その風船の表面に針を一本さしてみて、パチンとはじけてみたら、そこにはただ空気が広がっているだけだ。同じ空の下、同じ空気を吸って生きているのに、なぜここまで執着していたのだろう。
これが「自我」である。

こんな風に言ってみると簡単なように聞こえることだけれど、この風船に針をさすことがなかなかできない。なぜなら、それがあるから傷つくことよりも、それが自分を守ってくれることの方が多い気がするからだ。

この風船の皮一枚がはじけてあらわになった世界で、どんな人も自分とまったく同じなんて事実、まっすぐに受け止められるだろうか。
世界中すべての人を愛してるなんて言えるだろうか?
苦手な人なんて本当に一人もいない?

自分と他者との違い、そして自分の優位性をなんとか見いだすことで生きがいを保つ。それがあくまで一般的な話で、誰もが風船に針をさせるほど、強くも賢くもないのだ。本物の博愛を知る人は歴史上に3人くらいしかいない。

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ここで、うんと幼い頃、4歳か5歳の記憶で、いつも遊びに行く近所の土手があって、その土手の終点に私だけが訪れていたシロツメクサ満開の花畑があったことを思い出す。

とても暖かくて気持ちのいい場所だから、弟にも、近所の友達にも行ってみてほしくて話すのだけれど、誰もその花畑を見つけたことがなく、誰かと一緒に訪れようとするとたどり着くことができない場所だった。

一人で訪れていた日を思い出すと、草っ原が続く土手の道から瞬間、ふわっと宙を浮いてその花畑に入っていたような感覚が未だに身体に残っている。

寺尾紗穂さんの『天使日記』に、幼い娘さんのところに3ヶ月訪れた天使の話があって、寺尾さんが娘さんの不思議な体験を知人に話したくだりで、

「知人の音楽家の娘さんも天使に会っているという話です。そういう時期にさしかかっているということなんでしょうね」というのんびりしたことが書いてあって、100年先の未来から返信が来たような気持ちになった。

と書いてあった。これを読んで、幼い頃の自分の記憶は、単にそういう時期だったのか、と過去への手紙をもらったような気持ちになった。

私の両親は当時、こうした不思議な体験の話を聞いて決して否定したり「統合失調症なんじゃないか?」と訝しんで精神病院に連れて行くこともしなかった。ただ笑ってそうかそうか、と頷いてくれた。

そのおかげで自分の中に、あいまいで白黒つけない世界を愛し、境界線を自分からはできるだけ引かないようにする意識が育ったように思う。ただいつまでもシロツメクサの花畑に行ける少女ではなくなり、その時期を過ぎる過程で自然と、時には境界線を引く必要があることも知った。

このままあいまいでいたら自分が傷つくから「会わない」と決める必要性を知った瞬間や、絶対的に正義がない領域では「これは違う」と言うことで人が傷つくことから守ることもできる。

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大きなことから小さなこと、昔のことから今のことまでとりとめもなく書いてみたけれど、こんなことを書いている間にもウクライナで小さな女の子がシロツメクサの花畑にいく平穏な日々を奪われ、男の子が天使と会話する時期を阻害されている。

呑気に生きる私たちにできることが一つだけある。それは「私は戦争に反対します」と明確な言葉をwww上に投げかけることだ。だから戦争する人を批判する、のではなく、自分が思っている事実を置きにいくことだ。

対話は基本的に、相手の言うことに耳を傾けることから始まるものだけれど、正義なんて一つもない戦争に対しては自分から言葉を投げかけることで始まる対話もあるはずだ。

ここまで書いて空を見上げたら、生い茂る木々の間に、あいまいな境界線があった。空の道。向こうに広がる青空が春の色をしている。

せめて「そういう時期」を過ごす幼い子どもたちが一人でも多く救われて、あたたかいスープを口にすることができるように、ここで私から一つ境界線を引く。

私は戦争に反対します、と言葉にする。そしてこの引かれた境界線のそばによってきて耳を傾けてくれた人には、国境で再会のハグをする人のように心をひらいて話がしたい。


こんな感じのような、こんな感じでもないかもしれないけどエッセイはたくさん書いて寄せたいなと思っています。eatreat.の本づくりのクラファンはこちらです↓↓↓応援、お願いいたします。




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