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灯台の光にはご用心

今年の夏休みには新潟の知り合いのワイナリーを訪ねて、葡萄を摘む手伝いをさせてもらった。わたしには地理感覚というものが人の何倍も欠如しているので、数年前にも行ったそのワイナリーがかなり海に近いことにびっくりした。

休憩で連れて行ってもらった角田浜の海辺から、本当はこの夏に行くことを計画していた佐渡島が見えて、またびっくりした。

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この写真には別に佐渡島は写っていない。

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みさとさんが登りましょう、と言って指さした先に灯台が見えた。
急な階段をあくせく登りながら、ふくらはぎは悲鳴をあげるが心はわくわくした。昔から灯台が好きだ。遠くから眺めるよりも、見つけたらできるだけ近くまで寄りたくなる。特に何をするわけでもなし、どの灯台にも、昔は実際にいたはずの「灯台守」に想いをはせる。

お話しして、ピュー。
どんな話だね?
ハッピー・エンドの話がいいな。
そんなものは、この世のどこにもありません。
ハッピー・エンドが?
おしまい(END)がさ。

これはジャネット・ウィンターソンが書いた『灯台守の話』(岸本佐知子・訳)のある一節。

語り手はシルバー、小さな女の子。シルバーは、断崖絶壁に突き刺さった斜めの家に生まれ落ちた。家具が全て床に打ちつけられている家で、母親とふたり、命綱をつけて育つ。
ある日、母親が不慮の事故で亡くなったあと、盲目の灯台守「ピュー」のもとに引き取られるのだ。

ピューは100年以上も前の人たちの人生、例えばダーウィンのような歴史に名を残した人物について、まるで自分が見てきたかのように、シルバーに向かって物語る。

ピューのお話には、大昔の悲しい男の愛の物語が交錯する。150年前にこの街にいた牧師バベルの、愛を信じられなかった哀れな人生の物語。シルバーは、夜な夜な灯台の仕事を手伝いながら、ピューの語るお話を聴いて大人になっていく。

やがて灯台が廃止され、ピューとシルバーはバラバラになる。ピューは行方知らずになり、一度家族を失ったシルバーはふたたび大事な人を失い、ピューから聞かされた物語を糸のように紡ぎながら、自分と世界を繋ぎ止めて旅をして生きていく。

ある精神科医がシルバーに分裂症の疑いをかけて、このように聞く「自分にはいくつもの人生があると感じることはあるか」。それに対するシルバーの答えが印象的だった。

「もちろんです。たった一つだけの物語を話すなんて、そんなの不可能です」

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小説の印象を色で表すととっても真っ黒だ。怖くてドキドキするが、ページをめくる手を止められない。ずいぶん昔に読んだ小説だけれど、その感覚が根強く心に残っている。

印象が真っ黒なのは、光を照らす灯台の中身は、実はとても真っ暗だからだと思う。そこには闇があり、闇の中で懸命に目をこらすと光が見えてくる。光が見えてきて初めて、これは救いの物語だと気づく。

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カウンセリングをはじめて1年半が経った頃、わたしはクライアントの前で光を指し示す灯台のようでありたいと思っていた時期がある。闇のあるところに光を落とす存在でいたいと言葉にしていた。
灯台のように頼りにしていると言われたこともあったし、それでいいと思った。これはとても未熟な考えだと、今ならわかる。

闇も光も本来はクライアント自身の中にある。わたしという存在は一時的に頼る一筋の光にはなる必要があっても、誰かの理想そのもののように追いかけられることは御免だった。

わたしの中にもまた、闇と光があり、光を探すために闇の中で懸命に目をこらして生きていく必要があった。

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ホリスティックケアの世界で生きていると、ビジネスとして成功する人たちの多くが、まるで大衆の理想の光であるかのように自分自身をアピールしているところを幾度も目の当たりにしていて、その度に胸焼けがする。

それは儲かるだろうと思う。誰もが誰かを理想と見立てて心のよりどころにして生きていたいのだ、そのほうが楽だから。光だけを見つめているのは気持ちがいい。

理想のない人生は確かに味気がないけれど、理想を追い求めてそこに至ることを人生の目標にしてはいけないと思う。
灯台が指し示す一筋の光だけを頼りにして、一生懸命泳いで灯台に辿り着いたあげく、中に入ったらそこには真っ暗闇しかないってことになってひとは絶望する。自分の言葉で語らなかったことの代償は、からっぽな自分に気づくことだ。

だから、誰しもが灯台からは少し離れたところから、闇に目をこらし、自分だけの光を見つけなければならない。その度に航路を変更する。前に進んでいるようでただ円をぐるぐる回り、行ったり来たりしている毎日を、だれにもみせなくたっていい。自分の手で、目で、声で、なにかで物語ることだけで十分なのだ。

最近はもう、カウンセリングをして、その人の話を聴きながら「この人が今日、こうして僅かでも物語っているだけで、最高だな」と思っている。なんなら、息しているだけで最高、と思っている。

言葉にはしないけれど、前進のためのアドバイスなんて必要なんだろうか?ホリスティックケアの人たちが言いがちな、改善とか実践という言葉の重たさや無意味さを手で追い払いながら胸のうちでつぶやく。

ぐるぐるぐるぐる、円を描きながらペンを右に少しずつずらして描いてみよう。今日生きるだけで、昨日よりはなんらか前に進んでいるのだ。同じ点にとどまって逃げることなんて、許されたところでそれはかえって哀しい。

それでも現実に溺れないために、歩いてきた軌跡を物語ることだけに価値がある。カウンセリングはそのためにあるのだと、今はわかる。

"他人の真実になることは誰にもできないが、自分は自分の真実でいられる"

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愛している( I love you )この世でもっとも難しい3つの単語。でも、他に何が言えるだろう?___『灯台守の話』


終わりの終わりは、終わりのはじまり。

サポートしていただいた分は、古典医療の学びを深め、日本の生産者が作る食材の購入に充て、そこから得た学びをこのnoteで還元させていただきます^^