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旅立ちの日

イギリスへと旅立った日、それからの数日の出来事は今も鮮明に覚えている。

あの時の気持ちを思い出すとなんともいえない気持ちになる。

地元の空港から東京へとむかうとき、家族が見送りに来てくれた。帰国までしばらく会えずしばらく一人でやっていく寂しさを、自分で決めたことでしょ!という気持ちでおおい隠して家族の前では精一杯明るく振る舞っていた。とはいえ、わかりやすい性格だからバレているんじゃないかと思っていたけれど、家族曰く、出発ロビーに向かうとき一度も振り返らずあっさりしたものだったと。けっこう感傷に浸っていたんだけどな。

日本から飛び立つときには、友人のNがわざわざ成田空港まで一緒に来てくれた。どうでもいい話が不安で押しつぶされそうになる気持ちをふきとばしてくれた。

成田空港からイギリスまではコペンハーゲンで乗り換え予定だったのだが、コペンハーゲンからヒースロー空港までの便が遅れたのだ。

ヒースロー空港には迎えのドライバーを手配していた。留学会社との事前の打ち合わせでは、遅れる場合、自分で連絡することになっていたのだ。その時はそんなことないだろう、と高を括っていたから何も考えていなかった。

今ならまったくをもって動じないのだが、その時は、かろうじてわかる英語で遅れると知ったとき、あたふたして少し泣いた。公衆電話に必要なデンマーククローネを手にするため、ユーロでガムを買ってお釣りをもらった。(デンマークはユーロじゃなかったのだ。なんてことだい!)そのときはデンマークの物価の高さもよくわかっていなかったし、ただただデンマーククローネ欲しさで少しパニックになりながらも適当にガムを買った。残りのデンマーククローネは使い道がないまま、いまだに手元にある。見るたびにこの時のこと思い出して苦笑いしてしまう。

勝手がわからないながらもとりあえずドライバーに国際電話せねば、と電話するもつながらない。もう、なんなのよ。約束の時間に私が居なくて、ドライバーが帰ってしまっていたらどうやってホームステイ先に行けばいいんだ。。。と絶望的な気持ちになった。

でもどこかでそれを面白がっている自分もいた。ピンチになればなるほどおもしろいって思いはじめる癖がある。でもこの癖は人生をサバイブする上であってよかったと思う。

疲れで頭が動かないし、まぁなるようにしかならないと思って国際電話をあきらめ、ヒースロー空港に飛び立った。

空の上から初めて見るイギリスの大地は夜遅くて何も見えなかった。出口ゲートに行くとドライバーはちゃんと待っていてくれた。遅れたことをつたない英語で詫びると、彼はよくあることだ的な英語で返してくれた。ように思う。

ヒースロー空港からホームステイ先までの車はものすごいスピードで、オレンジのライトに照らされながら、これからのことを思った。

ホストファミリーは夜遅いのに待っていてくれた。優しそうな家族で安心。疲れたでしょうと差し出してくれた紅茶が、ただただおいしかった。

夜遅かったため簡単な自己紹介と家の中の説明を受けて、自室に戻らせてもらった。これから3ヶ月使う部屋に、ようやく一人になって無事到着した報告を家族にしたら長時間の移動と気疲れ、時差、無事に着いた安堵、いろんなもので頭がいっぱいで倒れ込むようにベッドに入った。

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