2021年も残り2日。 職場に向かうため、電車に乗っているところである。大きな建物がほとんどないような街を突っ切る路線のため、川沿いを散歩する柴犬が眩しそうにこちらを見る顔がよく見えた。自分の表情が優しくなるのがわかる。犬や猫は尊い存在であるし、なるべく喜びの多い人生(犬生・猫生)を歩めることを心から願っている。 今年は「休」の1年だった。周りにどう思われるかは別として、私にとっては人生において必要な1年だったと感じる。空が綺麗であること、風が気持ちいいこと、ご飯が美味し
今日は実家から職場に向かう。 先々週おばあちゃんが倒れた。 今は意識不明、植物状態だ。 ずっと体調が悪く、おじいちゃんが介護をしていた。 倒れる数日前に母親に私の仕事の話を聞いたおじいちゃんが電話してきてくれた。 そのときおばあちゃんと少しだけ話した。 話したというか、おばあちゃんの声を聞くことができた。 だからなのか、おばあちゃんの声が私の頭の中に鮮明に流れる。私に呼びかける声が。 もうおばあちゃんと話ができないのかと思うとすごく悲しい。 昨今の状況で、原則お見舞い
相手のためじゃなくて、「自分のために頑張ろう」と思える相手と一緒にいたいな。
1ヶ月間ひと通りいろんなことを考えたなと思う。 別れて早々に「落語を聞こう」「陶芸を始めよう」とか思ったけれど、それは早く忘れよう!次に進もう!と必死ゆえのもので、よくわからないまま新しいこと新しいこととと手を伸ばしても、それが本当に自分の求めるものでない限りは虚しくなるだけである。 よく言う『"好きなこと"に没頭しよう』の"好きなこと"というのは容易に見つけられる人とそうでない人がいるが私は圧倒的に後者である。 「それなら仕事を頑張ろう」とか思ったけど、なかなか思い通
顔見知りに知られていないので、ここでは安心して綴ることができる。私の性格上、知っている人に見られるのかと思うと、よく見られたいとまるで考えていることと違うことを綴ってしまう。 年末から揉め、年始早々なんとも言えない付き合いをしていた恋人と別れた。その別れ際に「結局どういう人なのかわからない」と言われた。まさにその通りだ。私は元恋人の前では自分の軸がなかったのだから。わかるもなにも存在しないものがわかるはずがない。合わせていた。それがいいと思っていたから。 ただその期間
「私そんなのほんとに嫌だわ」 カウンターで餃子を食べていたら、後ろから聴こえてきた。振り返ったらお店のおばさんが私の隣に座っている23歳くらいのカップルに話しかけている。 「さっきからお互いに話もせずに携帯ばっかりいじって、それなら早く帰りなさいよ。せっかく一緒にいるんだからもっと愛を語り合いなさい。」 笑いながらではあるが、結構強い言い方だった。そのカップルは苦笑い。もしかしたらこれから告白を考えているとかずるずると付き合ってるとかなのか。それか普通に友達同士か。どれ
春の苦手なところは明暗のはっきりしないあの光だ。 世の中に暗い映画や音楽が存在するのは、それが人々に求められているからだと思う。暗い気分のときにハッピーなものやクラブミュージックなんてとてもじゃないけど取り入れる気にならない。それらはただただこちらを置き去りにするだけだ。しかし暗いものは置き去りにすることなく、しっかりこちらに寄り添ってくれる。 春はそれができない。どんなにハッピーな人もどんなに暗い気分の人も等しくあの明暗のはっきりしない光で照らしてくる。白い光は
今日は特に思うことはなく、なんとなく空気が春めいてきたなということくらい。職場の会議室(そこでお昼ご飯を食べていることが多い)のブラインド越しに光が入ってきてて、春の光って暖かくて嫌いじゃないのかなと思ったくらい。あぁ、そうだ。この前思ったことがあった。今まで…特に昨年春が憂鬱だったのは気分と春の空気が合っていなかったからだなと思ったんだ。暗い話の映画や本、歌が在るのは、気持ちがどんよりしている自分にすっと馴染んでくれるからなんだろうと思って。元気な明るいものにはよく置き去り
世の中に出回る情報量の多さにいやになった。本当に私の好きなものは一体なんなんだろう。誰かに影響されることって決して悪いことではないんだろうけど、でもその影響を受けざるを得ないくらいに視界に入ってきて息苦しい。私は一体何に惹かれて生きてきたんだろう。世間に何かを発信していくタイプの人が都会から田舎に拠点を移すのはこういう理由なのかなと思った。身内とも友達とも他人とも何かを共有することが容易にできる世の中は便利なようでとても生きづらいなと思った。こういう世の中で自分の本当に好きな
最近、正直SNSに影響を受けてシンプルだけど良いものみたいな服を着ていることが多かった。でもそういう服って特に何の気なしに着れて、どんな私にも馴染んでくれるけど、着たからといって特段気分が上がるものでもなかったな。私の中では服は本来気分を上げる、元気をくれるものだ。例えば電車の窓ガラスとかお店のショーウィンドウとかにふと自分の姿が映ったときに嬉しくなる。似合ってる似合ってない関係無しにその服を着ていることが嬉しいし、似合っているとなお嬉しい。(でも似合わない服を着ているのはや
隣の席に座る女性は互いに子供の自慢をする。遠くの席に座る男性はイヤホンをつけたままナポリタンを食らう。店主が二人分の飲み終わったコーヒーのカップにお湯を注いだ。にこにこしながらおすすめの飲み方だと言った。溶けきっていない砂糖とミルクとわずかにコーヒーの風味。とても優しい味がした。外に出たら空気が澄んでいた。冷たい空気が身体中に染み渡った。嫌いなはずの寒いことを幸せだと感じた。 #日記 #日々のこと
思うことはたくさんあるし、だんだんなんとも言えない感情が出てきたなと思うけど今日はたくさん笑って、とにかくたくさん笑って帰り道はついにこにこしちゃったことを考えると私は全然大丈夫なんだな。人に優しくされるのもいいけど今は自分で自分を励まさないと負けそう。いつからか増えなくなった体重。銭湯で計ったらやっぱり減ってて、近くにいたおばちゃんに「軽いね、でもちょうどいいんじゃない」と言われた。ちょうどいいか〜。純粋に嬉しい気持ち。 #日記 #日々のこと
デスクで食べたイチゴのタルト、すごく尊い味がした。終わりを嬉しく思ったけどなぜか悲しくも感じた。終わりは同時に何かの始まりでもあるのだと思う。みんなを見ているとその始まりは輝かしいものに見える。最近は自分にとって何が大事なのかを思い出す、それを思い出すのは決して難しいことではなかった。でもそれを忘れていた期間も決して無駄ではなかったと心の底から思う。 #日記 #日々のこと
お客さん宅にて。外が晴れてきて、レースのカーテン越しに光が入ってきた。27℃の設定温度で暖められている室内は慣れない他人の家の匂いで充満している。私は営業に行っているんだけど、まったく営業とは関係ない時間を過ごすことがあって、それはお客さんの流れに乗っていて仕事上はよくないんだろうけど、私の人生においては必要な時間だなと思う。広いお庭にムクドリがたくさん飛んできて、土の中の何かを啄んでいる。「ずいぶんと団体さんがいらしたわね。」微笑み合った。言葉を交わすことはなく、ただただ庭