三千世界への旅 ネアンデルタール 3 移動型小集団「社会」
クラフトマンだったネアンデルタール人
サイクスは『ネアンデルタール』の中で、彼らが製作した大量の石器とその製作技法について詳細に紹介しています。製作技法といっても石で石を割るだけだから、たいして複雑ではないと素人は考えがちですが、メインの石の表面から剥片をカットして、めざす石器を作る技術は驚くほど緻密で複雑だといいます。
重要なのは、剥片をカットしてできあがったメインの石器だけでなく、剥がされた剥片からもカミソリのように鋭い刃を持つものが的確に製造されていたことです。彼らはそれを使って動物の肉から毛皮を剥いだり、肉や腱を切り分けたりしていました。
石で石を加工するしかない時代だからこそ、カット技法は高度でなければならなかったのかもしれません。
石のカット技法は、30万年以上の歴史の中で、いくつかの系統に分類できるといいます。後のホモ・サピエンスのように加速度的に道具を進化させていったわけではないにしても、ネアンデルタール人には彼らなりの緩やかな技術革新があったのでしょう。
また、ネアンデルタール人は、どんな石がどんな石器を作るのに適しているか、それがどこから採れるかについても熟知していて、100キロ以上離れた産地から材料を得ていたこともわかっています。
移動型の生活様式
サイクスはネアンデルタール人が移動型の生活をしていたと語っています。これは狩猟採集民に共通している生活様式で、農耕社会に移行するまでのホモ・サピエンスも同様でした。
普通、狩猟採集民は食料を獲得するために、新しい動物や植物の実などを求めて移動していたと一般的には考えられています。しかし、サイクスが語るネアンデルタール人の移動は、それだけのためではないようです。
彼らは動物を狩る場所と、獲物を解体して分け前を分配する場所、肉や内臓をさらに切り分ける場所、火で加熱して食べ、眠る場所、皮から脂肪などを剥がして衣服・寝具を作る場所など、行動ごとに作業・行為の場所を細分化していました。
しかも、それらのサイトは数キロあるいは数十キロ離れていることもありました。
考古学の技術的進化によって、石器やそこから剥がされたカミソリ状の剥片などを分析することが可能になり、彼らのどの集団がどこで何をし、どこへ移動したか、わかるケースが増えてきたため、こうした移動の実態がわかるようになったとのこと。
そうした研究の成果から、ネアンデルタール人が100kmからときには300kmくらいの距離を、ほとんど休まず移動していたことがわかるとサイクスは語っています。
こうした長距離移動を、彼らは石器や毛皮などの道具・日用品を運びながら行っていました。彼らのマッチョな体、大きな筋肉は驚異的な運動量によって獲得されたものだったのでしょう。
ネアンデルタール型生産様式
ネアンデルタール人の暮らしは、石器を作って狩りをし、獲物を食べて寝るだけでなく、動物の皮を加工することにも多くの時間と労力を費やしていました。洞窟の遺跡に残された痕跡から、草木を集め寝心地のいい寝床を作っていたこともわかっています。
また、移動中に火を持ち歩くことは難しいと思われるので、食事や睡眠のためのサイトでは、そのたびに火を起こしたでしょう。
彼らはあらゆる動物や虫、植物の実や茎、根っこなどあらゆるものを食べていました。海辺の遺跡からは大量の貝殻や魚の骨が見つかっているので、海産物も食べていたのでしょう。
生きるために何でも食べる必要があったとも言えますが、ただその場所で手当たり次第に生き物をとっては食べていたわけではなく、そこに系統だった技術や知識が働いていたとサイクスは考えているようです。
たとえばトナカイやある種の馬の先祖のように、群れで行動する動物が1年のいつ頃どこにやってくるかを彼らは知っていて、効率的・効果的に獲物を狩ることができました。
アフリカからユーラシア大陸西部に進出したネアンデルタール人が、この地域に広がることができたのは、環境に合わせて当時としては効率的な生産様式を確立していったからだと推測できるかもしれません。
ネアンデルタール型経済とクオリティ・オブ・ライフ
あまり休まずに100kmから300kmも移動しながら生活していたというのは、果たして効率的と言えるだろうかと、疑問に思う人もいるかもしれません。
しかし、それははるか後の時代にホモ・サピエンスが定住・農耕社会を始めたことから時間をさかのぼって見ているからで、そういう生産様式が生まれる前は、機動的に動くことも効率的な生産様式の一部だったと考えた方がいいでしょう。
ネアンデルタール人は10人からせいぜい20人くらいの集団で移動生活を送り、洞窟のサイトで夜を過ごすときは4〜5人くらいの少人数単位で寝たようです。
この少人数の集団で移動する様式が、おそらく彼らのユーラシア大陸西部での成功の秘密だったのでしょう。
少人数が広いエリアで食料や資材を調達しながら暮らすわけですから、それだけ一人当たりが得られる食料や道具は多くなり、生活の質・満足度は向上するからです。
ネアンデルタール型の「社会」
ネアンデルタール人の少人数集団は、おそらく家族のような近い血縁で構成されていたでしょう。となると、ひとつ疑問なのは、彼らが配偶者をどうやって獲得していたのかということです。
ホモ・サピエンスの子孫である近代の狩猟採集民の社会を調査した文化人類学者たちの研究では、彼らの社会では近親婚がタブーになっていて、血のつながりが従姉妹・従兄弟かそれ以上離れている近隣の集団から配偶者を獲得する傾向があるということがわかっています。
ネアンデルタール人にもそうした慣習があったのかどうかはわかりませんが、サイクスは彼らが機動的に動き回る中で、同類の集団に出会うことも少なくなかっただろうと推測しています。おそらく頻繁に遭遇する集団はお互い顔見知りで、もしかしたら親や祖父母が兄弟だったとか、親類の関係だったかもしれません。
彼らに結婚という制度があったかどうかはわかりませんが、そうした頻繁に遭遇する親しい集団同士の中で、カップルが生まれることはあったでしょう。
小集団で活発に移動してはいても、そうしたゆるい社会があったことは十分想像できます。
持続可能性の秘密
ネアンデルタール人の小集団によるゆるいネットワークがどうやって形成されたのか、サイクスはそのプロセスまで説明していませんが、そもそもアフリカからユーラシア大陸に進出したとき、すでにそういうゆるい小集団のネットワークがあり、それが生活圏を移動させていったのだと考えることはできるかもしれません。
ユーラシア大陸はアフリカほど温暖ではなく、気候が厳しくなることもあったため、ネアンデルタール人はその機動的小集団の機能を洗練させ、当時としては効率的な狩猟採集の生産様式を確立していったのでしょう。
小集団が動物の大集団を狩るときに協力して自分たちも大集団として行動したのかどうか、『ネアンデルタール』からは知ることができませんが、そこまで効率を突き止めて大集団を大規模化させていたら、獲物の分配やサイトの利用をめぐって争いが起きる可能性が高くなったかもしれません。
ネアンデルタール人の社会に個人的な暴力がまったくなかったという証拠はありませんが、集団間の闘争の痕跡は見つかっていないようです。
後にホモ・サピエンスは言語や宗教のような仮想領域を発達させ、組織的な大集団を形成するようになると、新たな地域へ生活圏を拡大し、他の人類や動物を滅亡に追い込んだりするようになります。
さらに農耕社会に移行して都市国家を形成するようになると、侵略、戦争、虐殺、支配が起きやすくなるのですが、ネアンデルタール人は最小限の集団で柔軟な社会を形成していたため、30万年以上、ホモ・サピエンスのような劇的進化を推進しなかった代わりに、組織的な侵略や戦争、虐殺、支配といったネガティブなことをしないですんだと言えるかもしれません。
進化を加速しながら自分たちの世界・社会を拡大していったホモ・サピエンスと違って、小集団によるゆるいネットワークを維持し続けたところに、ネアンデルタール人の持続型社会の秘密があるのではないかと僕には思えます。
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