三千世界への旅 縄文12 「日本人とは何者なのか」
東南アジアから日本列島にやってきた旧石器人
新潟の縄文博物館訪問から帰って、縄文についてnoteに書き始めるまでのあいだに、NHK-BSチャンネルの『フロンティア』というシリーズ番組の第一弾として、「日本人とは何者なのか」が放送されました。
日本人のルーツについて、最新の人類学やDNA技術など、色々な分野の専門家が証言していました。
それによると、最初に今の日本列島にやってきたのは、東南アジアにいた旧石器時代の人類だったとのこと。その人類は、約7万年前にアフリカからユーラシア大陸に進出し、その後地球上に広がったホモ・サピエンス、つまり現生人類です。
彼らの一部はユーラシアの先住者だったネアンデルタール人を取り込みながら、中東からヨーロッパに進出しましたが、別の一部は4万年くらい前に南アジアから東南アジアに進出し、その後オーストラリアに渡ったと見られています。
オーストラリアに渡った人類はいわゆるアボリジニになり、アジアに広がった人類はモンゴロイド、いわゆるアジア人になりました。
『フロンティア 日本人とは何者なのか』ではそのあたりのことに触れず、4万年から3万年くらい前に東南アジアから日本に移住した集団がいたことにスポットを当てていました。
わずか1000人によるグレート・ジャーニー
そこに登場する専門家によると、日本列島に移住した集団は1000人くらい。
彼は、この集団移住は好奇心によるもので、当時東南アジアにいた人類のうち、特に好奇心の強い集団が、北へ移動していったと語っていました。
未知の可能性を追った集団によるグレート・ジャーニーというわけです。
しかしその前に、アフリカから中東へ、そこから東のインドや東南アジアへ移動した人類がいたわけですから、日本列島に移動した集団が特に好奇心旺盛だったということでもないんじゃないかという気がします。
この番組を見ていると、まるで1000人の特殊な部族集団が、モーセに率いられてエジプトを出て約束の地に移住したヘブライ人のように、東南アジアの本体から離れて短期間で日本列島に移動し、日本人という独自の民族の最初の基盤になったみたいな印象を受けますが、実際にはどうだったんでしょう?
別の可能性はないでしょうか?
集団移動だったのか、生活圏の拡大だったのか
ニュージーランドやタヒチなど南太平洋の先住民は、屈強の若者の集団が選ばれ、船で未知の島へ航海することで、新しい土地を開拓していったと言いますが、それは船が普及した、かなり後の時代の話です。
前にも人類の移動について書いたときに触れましたが、陸続きの場合、別に特殊な集団を遠くまで派遣しなくても、食料になりそうな動物や植物や虫を求めて、隣の土地へ移動してみるといったことを繰り返していけば、数世代のうちにかなり遠くまで移動というか、生活圏を拡張することができます。
そして、この移動/拡張では、常に新しい食料確保の可能性を求めて移動した集団と、土地に留まった集団がいたでしょう。
狩猟採集民は定住せず、放浪生活をしていたというイメージがありますが、それは農耕民のように住居や農耕地を固定せず、季節や動物の移動に応じてサイトを移動していただけで、移動は行き当たりばったりでもなければ、範囲が無限だったわけではありません。
その土地で食料が確保できれば、その土地を放棄して未開の土地へ移動していく理由はないはずです。
人口が増えて元の土地では食料がまかなえなくなるから、新しい土地に移動する人たちが出てくると考えるのが自然でしょう。
今の日本列島に渡ったのが1000人くらいだったとしても、その時点で出発点の東南アジアと新天地である日本列島のあいだに無人の土地が残されたわけではなく、徐々に移動を継続したことで、その土地々々にも残った集団はいたという可能性はないでしょうか?
旧石器人から新石器人/縄文人へ
日本人の最初の祖先となる集団がやってきたとき、当時の地球は寒冷期だったので海面が下がり、日本列島は大陸の東端から陸続きかそれに近い状態だったので、船がなくても渡れたようです。
その後、氷河期が終わり、海面が上昇して、日本列島は大陸から切り離されました。
その結果、日本列島の人類、いわゆる旧石器人は、大陸からの影響を受けずに、独特の進化を遂げ、新石器人、いわゆる縄文人になっていったとのことです。
人類がベーリング海峡を渡ったタイミング
人類が氷河期にユーラシア大陸から凍結した、あるいは海面の低下で陸続きになったベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に進出したのは、以前は15000年前と言われていました(最近ではもっと前、20000年以上前の足跡がアメリカ大陸で発見されたと言いますから、この数字は書き換えられる可能性がありますが)から、それより前の18000年前に氷河期が終わったというのは奇妙な気がします。
しかし、氷河期の終わりというのは突然地球全体にやってきたわけではなく、南では元々北より気温が高かったでしょう。
たぶんアジアに進出した人類は、地球が寒冷化していく中で、比較的暖かい南の地域を東へ進み、東南アジアに行き着いたわけです。
寒冷期が終わって日本列島あたりが温暖になり、木の実など植物性の食料が手に入りやすくなって、それを貯蔵するための土器が作られるようになった頃、シベリア北部やベーリング海峡あたりはまだ北極的な寒さだったと考えれば、この気候の違いは納得できます。
日本列島という純粋培養器
ともかく、この『フロンティア 日本人とは何者なのか』という番組がまず伝えたかったのは、日本人の最初の祖先にあたる旧石器人が、まだ大陸とほぼ陸続きだった日本列島にやってきて、その後の海面上昇で孤立した。
この旧石器人が動物や虫だけでなく、魚介やクリ・ドングリなどの木の実を安定して確保できるようになって定住して、土器を作って貯蔵や煮炊きに使うようになり、縄文人という独特の新石器人になり、1万数千年にわたって日本列島で独自の文化・文明を持続させたということのようです。
最近発見された縄文最古の土器は約17800年前のものだとされています。
氷河期が終わって温暖化が始まったのは18000年前くらいと言いますから、ほぼ同時に日本列島では、定住や土器を使用する新石器時代が始まったということになります。
これは世界で最も古い土器であり、最も早い新石器時代の始まりだそうです。
しかも、海に囲まれた島国になったため、大陸からの影響を受けない独自の文化が純粋培養的に発展し、持続したと、この番組の専門家は語っています。
縄文時代がずっと大陸から孤立していたのかどうかについては、ある時点、ある地域で丸木舟による移動が活発化し、朝鮮半島やサハリンとの交流が生まれていたのではないかという説もあるので、この純粋培養説は1万数千年の縄文時代全体に当てはまるわけではない可能性もあるのですが、これについてはまた改めて、別の縄文に関する本を紹介するときに触れようと思います。
弥生時代と古墳時代の民族混淆
『フロンティア』は、いろんな分野で生まれている最先端の成果を紹介することをテーマにしたシリーズのようですが、その第1回にあたる『日本人とは何者なのか』で紹介されている最先端の成果は、遺伝子解析の進化で、日本人がどこから来たのか、いつどんな外来人種との混血が行われたのか明らかになったことです。
それによると、縄文人は東南アジアに今もごくわずか残っている狩猟採集民に近い遺伝子を持ち、1万数千年のあいだその状態を保ち続けたとのこと。
それに対して弥生人の遺伝子は、朝鮮半島から東北アジアの遺伝子を持っていて、縄文人の遺伝子との割合は大体半々くらい。
ところが弥生時代の政治・経済システムが発展した時代とこれまで考えられてきた古墳時代になると、遺伝子に中国・朝鮮を含む東アジアの広い地域の遺伝子が混じるようになり、その割合はテレビ画面に表示された棒グラフなので、正確なところはわかりませんが、大体7割くらいを占めています。
つまり、縄文時代は縄文人100%、弥生時代は縄文人と渡来人50%ずつなのに対して、古墳時代はその後日本列島に渡ってきた渡来人の遺伝子が多くを占め、縄文人と弥生人の遺伝子はわずかずつになってしまったわけです。
この事実を『日本人とは何者なのか』に登場する専門家は「衝撃的」と表現しています。
日本人とは何者なのか
最近の日本古代史では、弥生時代の末期に、卑弥呼の邪馬台国が倭つまり当時の日本の小国群を統治していて、初期の古墳も造られていたので、そこから内乱を経て誕生したヤマト王権も弥生系の王権であり、今の天皇家につながっていると考えるのが主流になっていました。
しかし、古墳時代にこれだけ遺伝子の構成が大きく変化するほど、東アジアの広い地域から色々な勢力が大量にやってきたとなると、これまでの縄文人プラス渡来人=弥生人/日本人とは言えなくなります。
この番組はこの事実を提示しているだけで、「じゃあ日本人ってどんな民族なんだ?」とか、「大和朝廷って実にはアジアから渡ってきたいろんな勢力が争ったり、連合国家を形成したりしながらできあがってきたんじゃないか?」といったことには触れていません。
実は僕が縄文について調べているのも、その後の弥生時代から古墳時代に何があって、古代の日本が形成されたのか、それが日本人の精神構造とか文化にどうつながっているのか考えたいからなんですが、とりあえず今回はこれくらいにしておいて、次回はもう一度縄文時代に戻り、縄文人の価値観や考え方について勉強したことを紹介します。
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