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三千世界への旅 ネアンデルタール 4 ネアンデルタール人の愛・芸術・死生観

再び脳の大きさについて


ネアンデルタール人の生産様式、生活様式を見ていると、体力にものを言わせて長距離移動しながら狩りをしたり、ひたすら石器や道具類、皮などの加工をしたりと、体を使う行動が大部分を占めているように思えます。

しかし、こうした行動を彼らの脳の容量の大きさと関連付けて考えると、もしかしたら彼らの生活・生産行動のダイナミックな複雑さは、我々が考える以上に脳を酷使しするものだったんじゃないかという気もしてきます。

前に紹介したように、彼らの脳の容量はホモ・サピエンスより少し大きかったのですが、彼らの行動が体力重視の運動や、職人的な手作業だったにせよ、それがトータルで複雑で精巧な行動様式をかたちづくっていたとするなら、彼らの行動は大きな脳を必要としたのかもしれません。

ホモ・サピエンスのように仮想領域を拡大して抽象概念を発展させるには、脳のトータルの容量より、小脳の全体に占める割合が重要だったのですが、ネアンデルタール人は手作業や身体による行動が極めて複雑でデリケートだったため、脳全体の大きさを必要としたということです。

歴史時代以降の人類社会では、仮想領域・抽象概念を支配する人間が、それ以外の人間を支配するようになり、今でも科学や経済、法律などの複雑な知識を操ることができる人間が、職人や作業員の上に位置付けられる傾向があります。

そうした格差や支配を生まなかったネアンデルタール人の社会は、今の我々の社会より果たして劣っているのかと考えると、彼らのゆるさや、進化・拡大を過度に追求しない姿勢の方が、ある意味洗練されていたのではないかという気もしてきます。


優しいネアンデルタール人 


サイクスはネアンデルタール人が、障害者の家族・親族を長年ケアしていた事例を紹介しています。

前回紹介したように、彼らは一箇所に定住せず、移動しながら暮らしていて、その移動距離とスピードは驚異的でした。また、狩猟採集は食料獲得の手段として農業より不安定だったと推測されるので、障害者を連れていることはその家族・集団にとってそれだけ負担になったでしょう。それでも彼らは障害者を見捨てなかったわけです。

家族・親族だったからかもしれませんが、生存が今よりはるかに困難だった時代に負担軽減策を選ばず、障害者がかなりの年齢になっても群れの仲間として生きることを許容したということは、なかなか驚異的だという気がします。

日本の農耕社会では、過剰に子供が生まれると殺して人減らしする、いわゆる「間引き」と呼ばれる習慣が、江戸時代かそれ以降も存在したと言われています。高齢化して働けなくなった老人を山に捨てる「姥捨て」と呼ばれる習慣があったとも言われます。

それに比べると、ネアンデルタール人の障害者ケア的な優しさは、身体能力がものを言う狩猟採集時代だったことを考えると、かなり際立って見えます。


ネアンデルタール的美の世界


『ネアンデルタール』の中でサイクスは、ネアンデルタール人が洞窟の奥に石筍を並べて、ストーンサークルのようなモニュメントを残していることに触れてします。石筍とは鍾乳洞に石灰質を含んだ水のしずくによって長い年月の間に形成された、一種の鍾乳石です。

ネアンデルタール人が製作した石筍のストーンサークルが、宗教的な意味を持つのか、芸術的な意味を持つのかはわかっていません。こうした構築物が他に発見されていないので、ネアンデルタール人にとってある程度一般的な文化的習慣のようなものが存在したのかどうかもわかりません。

しかし、ホモ・サピエンスと同じではないにしろ、ネアンデルタール人にも何らかの美的感覚や、それをモノに表現する意識・意欲が存在した可能性はあると、サイクスは述べています。

たとえばネアンデルタール人の遺跡からは、石に顔料で採色したものが少なからず見つかっていますし、それより稀ではあるけれども、等間隔に何本もの平行線と、それを斜めに横断する斜線が刻まれた石も発見されています。

これらの色や図形がどんな感性で作られたにせよ、ネアンデルタール人にとって代わったホモ・サピエンスだけが、美的な感覚を持っていたわけではないことを、これらの遺物は示していると、サイクスは考えているようです。


死と埋葬 


サイクスは『ネアンデルタール』の中で、もうひとつネアンデルタール人の文化的な領域について取り上げています。それは死と埋葬に関するものです。

遺跡から発掘された彼らの骨は、バラバラになっているものが多いのですが、それはホモ・サピエンスの遺跡よりはるかに古いものが少なくないため、洪水で流されたり、動物に荒らされたりしていることが珍しくないという事情によるようです。

しかし、1991年にスペインで多くのネアンデルタール人の骨が発見され、その場所を25年にわたって入念に調べた結果、少なくとも10人のネアンデルタール人の骨の一部が発見されました。

注目すべきは男女と子供がセットになった遺体がほぼ完全な状態で発見されたことでした。その場所は石器の出土が少なく、炉の跡も見つかっていないので、生活の場ではないと推定されています。つまり、死者を特別な場所に、大切に置いたと思われるのです。

そのうち女性の遺体には、おそらく意図的に遺体の手足の位置を決めたと思われる手の加え方がしてあったとサイクスは語っています。

「成人女性の片足はまっすぐで、もう一方の足は下で交差し、両腕は曲がり、両手は顔の近くにあった。他の一体の両手も、顔のそばにあった」(『ネアンデルタール』P.448)

こうした意図的な姿勢が埋葬の儀礼なのかどうかは、まだ定かでないとのことです。またこの3人が夫婦とその子供なのか、なぜ同時に、あるいは相次いで亡くなったのかもわかっていないようです。

しかし、残された親族は特別な意味を込めて、死者の手の位置を工夫し、生活の場とは異なる場所に安置したわけですから、それは埋葬の萌芽のようなものだった可能性はあります。つまり彼らにも何らかの死生観があったということになるかもしれません。


死者の肉を食べるカニバリズム


ネアンデルタール人の死に関する痕跡で一番ショッキングなのは、人肉嗜食を伺わせる遺骨があることです。ホモ・サピエンスの狩猟採集民にも人肉嗜食の風習はあったと言いますから、別にネアンデルタール人がホモ・サピエンスより野蛮で残酷だったということにはならないでしょうが、少なくとも両者の死生観には相通じるところがあるのかもしれません。

死者の肉を食べる風習は、栄養摂取のためではなく、死者を悼んで、その命あるいは魂を残された者たちの中に取り込むといった意味合いがあるといい、サイクスはネアンデルタール人にもそういうマインド、価値観があったかもしれないと推測しています。

遺体を完全なかたちで埋葬的に安置した例がある一方で、カニバリズムを思わせる例もあるところがちょっと厄介ですが、何十万年も続いたネアンデルタール人の時代の中で、いろんな地域にいろんな価値観が生まれた、あるいは幾つもの価値観が生まれたり消えたりしたのかもしれません。

サイクスもネアンデルタール人が均質な文化を持っていたと単純化して考えてはいけない、彼らは多様性を持っていたと語っています。



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