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三千世界への旅 縄文18 山梨・釈迦堂遺跡博物館

縄文の感触


少し前になりますが、山梨県の釈迦堂遺跡博物館に行ってきました。

縄文関連の本を読んで、縄文人や縄文文化のことを考えたり書いたりするのも楽しいですが、やはり時々は縄文の土器や土偶などを見たくなります。

縄文人の価値観とか世界観とか美学といったことは、近代以降の概念でとらえたものですから、縄文人が感じていたこと、考えていたことそのものではありません。現代人である自分の理解のために、便宜上設定したゲームみたいなものです。

あまり概念上のゲームにだけ関わっていると、縄文人が見たり感じたり考えたりしていたことから離れてしまいそうなので、たまには彼らが生きていた場所に行って、彼らがこしらえたものを見て、概念におさまらないものを感じてみたくなります。

釈迦堂遺跡群は縄文早期から後期だけでなく、平安時代までの様々な遺跡から成る大規模な遺跡で、特に建物が復元されたりはしていないようですが、エリア内の甲府盆地を見渡す丘に博物館があって、縄文時代の出土品を展示しています。


今回も受付で確認したところ、「商用目的でなければ写真撮影OK、ネットでの紹介もOK」とのことなので、お言葉に甘えて写真を紹介させていただきます。

ちなみに最近の記事のトップに使用している土器や土偶の写真は、この釈迦堂遺跡博物館で撮影したものです。


勝沼ぶどうエリアを歩く


釈迦堂遺跡の近くを中央道が通っていて、博物館のすぐ下にパーキング・エリアがあり、そこに新宿―甲府を結ぶ高速バスの停留所があるので、東京からの交通の便はすごくいいんですが、せっかく甲府盆地にやってきて、ろくに歩かないのもさみしいので、あえてJR中央線に乗って勝沼ぶどう郷駅で降り、ぶどう園が続く丘陵地帯を約5km歩いてみました。

天気もよく、フリースのジャケットにダウンジャケットを重ね着したら暑いくらいで、途中からダウンジャケットを脱ぎました。

ぶどう園では農家の方が、葉っぱが枯れたぶどう棚に脚立を立てて、枝を剪定しています。そんなに忙しくはなさそうですが、それでも1年を通じていろいろな作業が必要なんですね。



戦国武将の館跡


途中、武田氏の家臣だった地元の豪族・勝沼氏の館跡がありました。空堀と礎石しか残っていませんが、冬枯れの城館遺跡もなかなか風情があります。



輪だらけの土器

釈迦堂遺跡群の縄文土器は、早期から後期までバリエーション豊富なのが特徴です。

中でも有名なのはやはり全盛期の中期の土器で、水流なのか、空気なのか、幾つもの流れが渦を巻いているような、輪だらけの装飾が独特です。

ほかにも装飾が顔のように見える土器が色々あります。顔が人なのか動物なのか精霊なのかわかりませんが、不思議なパワーを感じます。

そういえば西東京市の展示室で見た縄文土器にも、装飾が顔を思わせるデザインがありましたが、関東の縄文土器の特徴なんでしょうか。

新潟で見た土器は、デザインが派手でもこんな感じのはなかったような気がします。

しかし、実物を見ていると、後世の人間が縄文を自分たちの価値観・世界観に引き寄せて、自分たちが理解・納得しやすいように解釈するのはなんか違うなという気がしてきます。

むしろ自分たちが理解できないところに、彼らの文化の特色やパワーがあるんでしょうね。


可愛い土偶


土偶の展示数も多いんですが、土器が大きく力強いのに対して、こちらは小さく可愛らしい感じがします。

土器の技巧がすごく洗練されていて高度な感じがするのに比べて、土偶は子供っぽいというか、ヘタウマな感じがするのは僕の気のせいでしょうか。

女性がしゃがんで出産するところらしい土偶もあるので、別に縄文時代の子供が土偶を作っていたというわけではないようですが。


黒曜石と水晶のやじり


石器類の展示はあまり多くないですが、その中で黒曜石と水晶のやじりが目を惹きました。

黒曜石は鋭利なやじりや刃に加工できるので、石器時代・縄文時代には貴重品だったはずですが、たくさん出土しているのは、黒曜石のメジャーな産地である蓼科の和田峠が近いからでしょうか。

水晶のやじりは新潟の博物館では見ませんでしたが、山梨は昔から水晶がたくさんとれるので、水晶製のやじりもたくさん作られたということかもしれません。

黒曜石とやじり
水晶とやじり


山梨は海がないので、たぶんこのエリアに暮らした縄文人の世界観に海は含まれないと思うんですが、長野とか群馬・栃木とか、内陸部の縄文的世界観がどんなものだったのか、改めて気になります。

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