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三千世界への旅 魔術/創造/変革45 近代の魔術23 中国革命の魔術5

影のプロデューサー


しかし、中国革命の真のプロデューサーは周恩来ではなかったのかと、僕は考えています。僕の学生時代に中国の動向を注視していたまわりの友人たちにも、周恩来こそ中国革命の真の仕掛け人だと見ている人たちが少なからずいました。

内戦時代から中華人民共和国建設後まで、組織や国家の運営を実際に取り仕切ったのは彼ですし、毛沢東の誇大妄想的な思想だけでは革命も建国も成立しなかったはずだからです。

彼が亡くなったとき、中国でも多くの人が哀悼の意を表していましたが、二転三転して国を混乱させた責任が毛沢東にあり、周恩来は毛の暴走と国の混乱をなんとか最小限に抑え、行政や経済の立て直しを行なったのだということを理解し、彼を尊敬する人たちが少なからずいたのでしょう。

では、周恩来が革命の影のプロデューサーだとしたら、なぜ彼はあんなに卑屈に毛沢東に仕えたんでしょうか?

おそらく彼はソ連のコミンテルンの指導に従って行なった都市型の活動や武装蜂起が誤りだったことを深いところで理解していたでしょう。

そして毛沢東と出会うことで、清王朝の支配からいきなり近代国家への転換を初めて混乱していた中国で社会主義革命を成功させるには、正しい理論だけではだめだということ、毛沢東のように中国の民衆つまり農民の懐に入り込んで、彼らと一緒に農作業をしながら戦うという行動で革命の可能を示し、彼らの中に宗教的と言えるくらいの熱狂を生み出す必要があると気付いたのでしょう。

そこからの彼は、毛沢東のカリスマ性によって民衆の中に革命への情熱や忠誠心を掻き立て、そのエネルギーで勢力を拡大し、革命を実現していくことに徹するようになります。

毛沢東に対する卑屈なくらいの忠誠心も、毛の魔術的なパワーを利用するための方便だったのかもしれません。


思想と実務の役割分担


そういう角度から見ると、大躍進でも文化大革命でも、周恩来は人民の革命熱を冷やさないために、毛の無茶な政策に従いながら、そこから生じる混乱や損害がなるべく小さくなるように務めていたのではないかと思えてきます。

たとえば文化大革命で失脚した鄧小平が、軟禁状態にあっても、悠然と仲間との麻雀を楽しんでいた映像が残っていますが、彼は自分が表向きは失脚しても、周恩来に守られていて、大躍進の前に粛清された彭徳懐や、文化大革命で病気を悪化させて亡くなった劉少奇のようには追い詰められないこと、文化大革命がいずれ終わり、破壊された行政や経済を立て直すには周恩来や自分が必要だということを見切っていたようです。

毛沢東も自分がカリスマとしてやりたい放題やれるのは、周恩来のような実務派がいて、自分を担いでくれるからで、彼らがいなければ何もできないことを理解していたと僕は思います。

色々問題が生じたにせよ、宗教的思想家の毛沢東と、実務の周恩来という基本的な役割分担がかろうじて維持されたところが、スターリンの独裁を極限までエスカレートさせたソ連と中国との違いと言えるでしょうか。


周恩来のふたつの顔


もし党や国家の組織や実務の最高責任者だった周恩来が、スターリンのように独裁的な権力を握ろうとしていたら、どうなっていたでしょうか?

困難な内戦期が終わり、中華人民共和国が成立した時点で、毛沢東のように民衆を扇動して動かすタイプの革命家はお払い箱にして、彼が最高指導者になることができていたら、もう少しまともな国家運営ができたかもしれません。

しかし、彼はそれをしませんでした。

自分と毛沢東が対立して闘争を始めることで、共産党や軍が分裂して内戦が始まってしまうことを恐れたからでしょうか?

闘争に勝ったとしても、自分がスターリンのような独裁者になってしまう必要があることを彼は理解していて、それを嫌ったからでしょうか?

あるいは権力を握ったばかりの中国共産党も、できたての中華人民共和国もまだ脆弱で、革命はまだ途中だから、毛沢東の魔術が必要だと考えたからでしょうか?

あるいは周恩来自身が毛沢東に本気で心酔していて、そんなことは考えることができなかったのでしょうか?

彼がどう考えるか以前に、毛沢東を神格化して崇拝する中国人民の熱があまりにも強くて、彼をお払い箱にすることなど不可能だったのかもしれません。

彼がスターリンのように共産党の組織を操って毛沢東を粛清しようとしても、まわりがそれを許さなかった可能性が高いでしょう。

そもそも性格的に独裁者タイプだったのは、周恩来ではなく毛沢東の方でした。周恩来は独裁者になるにはあまりにも賢く冷静でした。

スターリンは独裁者タイプでしたが、思想家・革命家としてのカリスマ性はありませんでした。一方、組織のコントロールによって自分をカリスマにしていく権謀術数にかけては天才的でした。そして革命のカリスマであるレーニンが早死にしたことで、彼は独裁者になることができたと言えるでしょう。

一方、中国では毛沢東も周恩来も長生きしたため、独裁者タイプの毛沢東が誇大妄想的な思想で人民を駆り立て、宰相タイプの周恩来が人民のエネルギーを利用して革命を推進するという二人三脚が、中華人民共和国建国後も続きました。

周恩来には、神がかり的なカリスマ毛沢東に盲従する卑屈な家来の顔と、舞台裏で実務を仕切る宰相の顔があり、その矛盾の中に中国という巨大な国で起きた革命の実像があるのでしょう。


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