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三千世界への旅 魔術/創造/変革61 まとめと反省

良い魔術と悪い魔術?


ここまで歴史の中で、非理性が魔術的に作用して、世の中に影響を与えた事例をざ
っくり見てきました。

最初のもくろみは、非理性的な作用が不思議な力を発揮して、世の中をポジティブに変えた事例を検討しながら、科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みの限界や弊害を明らかにしたり、人類が直面している危機を乗り越えたりできる、新しい考え方や仕組みのヒントを見つけることでした。

科学や芸術が花開いたルネサンス期に流行した魔術・神秘主義について調べたときは、創造的な魔術というのがあり得るかもしれないと期待しました。

古代のユダヤ人の迫害に関する伝説・神話と、一神教や倫理的価値観、金融システムなどを生み出したユダヤ人の創造性について考えたときもそうでしたし、古代ギリシャとソクラテスの方法について調べたときもそうでした。初期キリスト教の倫理的な考え方がローマ帝国に広まった理由を探ったときもそうでした。

科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みは、何かをするときの基準や手段であって、それ自体が良いとか悪いとかいうものではないし、それによって生まれる弊害は、それを活用する人類が活用の中に、非理性的な欲望や幻想を潜り込ませていることで生まれるんじゃないかということも見えてきました。

たしかに、社会や人類の生き方をどう変えればいいかといった思想を、科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みとして提案するだけでは、欲望や幻想に駆られて科学的・理性的・合理的な考え方を実践しているつもりでいる(つまり自分たちを正しいと信じている)勢力を説得するのは難しいので、そこに何らかの非理性的・宗教的な考え方をプラスして、魔術的な作用を彼らに及ぼすことで、新しい可能性が生まれるんじゃないかと考えたわけです。

しかしその後、近代以降の革命など、大きな事例を見ていくにつれて、問題はそんなに簡単じゃないことがわかってきました。

厄介なのは、非理性の魔術にはポジティブな働きもあれば、ネガティブで危険な働きもあり、どちらかというとネガティブな働きの方が強く大きいということです。

最初は良いと思われた非理性的・魔術が、途中から悪い非理性・魔術になってしまうこともあります。


革命的な魔術の危なさ


たとえば国家の仕組みを変えてしまうような革命は、前の体制が生み出した混乱や貧困、飢餓、大量死など、絶望的な状況で勃発し、古い体制から国民を解放することで、ポジティブに作用するかに見えます。しかし、革命勢力が権力を握り、統治を始めると、権力をめぐって革命勢力内での抗争や粛清が始まったり、旧体制より強力な権力の行使、支配が始まったりします。

革命政権がしっかりした科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みを持っていればいいのですが、革命それ自体が前の体制で科学的・理性的・合理的とされていた仕組みを破壊することですから、彼らの新たな考え方や仕組みは、旧体制の価値観の中にいる多くの国民にとっては邪悪な魔術に見えます。

しかも、革命勢力は、自分たちの新しい考え方・仕組みを科学的・理性的・合理的で、絶対的な正義と考えてしまいがちですから、古い価値観を信奉する国民は邪悪な「反革命」勢力であり、残酷なやり方で弾圧したり処刑したりしても許されると思い込んでしまいます。

革命勢力の中でも、「革命的」な価値観がエスカレートしていき、それについてくることができない多くの革命家が粛清されたり弾圧されたりします。それは結局のところ、ただの権力闘争だったりしますが、権力を振るう側は自分たちの信念を非理性的に絶対視していますから、自分を客観的に見て反省したり軌道修正したりといったことは行われないわけです。


自由主義の魔術


近代以降に現れた考え方・仕組みで一番大きなものは、科学や経済の合理性によって運営される、いわゆる自由主義です。そこには政治システムとしての民主制や、経済システムとしての資本主義なども含まれていると考えていいでしょう。

この自由主義は、大きく見れば人類の活動を活性化させ、世の中を豊かにしましたが、経済的・政治的な強者による弱者の征服や支配を生み出し、エスカレートさせたため、国家間・地域間・民族間・社会階層間・宗教間など、あらゆるところに軋轢や抗争をもたらしました。

近代自由主義の根底には科学的・理性的・合理的な考え方・仕組みがありますが、すでに見てきたように、その仕組みの運営は必ずしも科学的・理性的・合理的に行われてきませんでしたし、今も行われていません。

このシステムの強者は、国家などの政治的勢力であれ、企業などの経済的勢力であれ、科学的・理性的・合理的な建前の下で、非理性的な欲望や幻想に駆り立てられながら行動しています。

今も続いている近代の魔術は、こうした政治的・経済的強者、支配勢力によって用いられていると言えるでしょう。

知識人がいくら科学的・理性的・合理的な考え方で、今起きている問題の解決法を提案し、それらが受け入れられたとしても、支配勢力の科学的・理性的・合理的なシステムの中に繰り入れられるだけです。

システムを運営している勢力の非理性的な欲望や幻想はそのままなので、自由主義体制の権利としてシステムの支配は継続されます。

中国やロシア、北朝鮮のように、自由主義勢力に敵対的な国家の挑戦は、「共産主義」「軍国主義」「独裁」などのレッテルを貼れば自分たちを正当化できますし、イランやアフガニスタン、様々なテロ組織などには「イスラム原理主義」のレッテルを貼れば済みます。


終わりつつある近代的グローバル体制


しかし、欧米先進国の経済成長力が低下し、世界の経済成長は新興国が支えていますから、先進国の科学的・理性的・合理的システムを活用した支配がいつまで続くか疑問です。

グローバリゼーションの名の下に経済的な弱小国が大国や先進国の巨大資本に支配されたり、欧米先進国が金利を上げただけで後進国の財政が破綻したりして、システム自体は科学的・理性的・合理的でも、現実には非理性的で不合理な支配が行われていることがバレつつある今、欧米の支配者勢力の理屈は説得力を失いつつあります。

20世紀のように、科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みではどうにもならない、世界的な対立・抗争の時代、戦争や殺戮の時代がまた始まろうとしているのかもしれません。

科学的・理性的・合理的な考え方で正論を唱えることは可能ですが、今言ったように、リベラルな知識人のそうした正論は、各勢力の科学的・理性的・合理的な主張の中に取り込まれるだけで、それぞれの非理性的な部分には何の影響も及ぼしません。

そして各勢力は、それぞれの立場から自分たちを正当化し、相手の非理性や不合理を非難するだけで、自分たちを動かしている非理性的な部分には触れません。

おそらく今一番必要なのは、自分たちを支配している非理性を理解することなのですが、自分あるいは自分たちの非理性を客観的に見たり理解したりするのは難しいものです。

日本人やアメリカ人は「中国人・ロシア人はけしからん」と考えがちですし、中国人は「アメリカ人・日本人はけしからん」と考えがちです。

「魔術・創造・変革」では、こうした人類の問題、近代という時代の問題を考えてきたわけですが、そこから何か新しい解決法につながるような発見ができたわけではありません。それが今の反省点です。

次回はこの反省点について考えながら、これから僕が考えようとしていることについて書きます。

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