三千世界への旅 縄文19 貝塚はゴミ捨て場ではない 加曽利貝塚遺跡訪問その1
関東有数の縄文遺跡
先週、千葉の加曽利貝塚遺跡に行ってきました。
「加曽利式土器」という、関東を代表する縄文土器の様式名の由来になっていることでもわかるように、出土した土器の特色やバリエーション、遺跡の規模な大きさなど、関東屈指の縄文遺跡です。
重要遺跡であるにもかかわらず、出土品が展示されている博物館は入場無料です。
これまで訪ねた縄文博物館や展示室同様、入場無料で写真撮影OK、SNSやブログへのアップも、商用目的でなければOKとのこと。
ありがたい。
お言葉に甘えて、バンバン掲載させていただきます。
貝塚の断面が見られる施設
加曽利式土器に負けず劣らず重要なのは、「貝塚遺跡」という名称からもわかるように、全国でも有数の大規模な貝塚が発見されたことです。
場所は千葉市からモノレールで20分ほど内陸に入ったところなんですが、縄文中期は温暖化で地球上の氷河や、北極・南極の氷が解け、海面が大きく上昇した時期ですから、その近くまで海だったんでしょう。
広いエリアで貝殻が分厚い地層を形成しているのが発見されていて、そこから貝類が他の魚介類より突出してたくさん採集されていたことがうかがえるとのこと。
この遺跡には、貝塚の地層の断面を見ることができる施設が2カ所あって、長い年月をかけて大量の貝類が採集され、貝殻の層が積み重ねられていったことを実感することができます。
貝の干物が地域の一大産業だった?
前にも紹介しましたが、他の食べ物の骨や殻などに比べて、貝殻が突出して多いので、貝の季節に大量に採集し、干貝にして保存し、自分たちで食べる以外に、他の地域の名産品と交換していたのではないかと考えられたりしているようです。
確かに、日本列島の貝塚の分布を見ると、関東にかなりの数が集中していることがわかります。
東北・宮城あたりや、中部・三河あたり、中国・岡山あたり、九州・有明海沿岸など、ほかにも何カ所か貝塚が固まっている地域がありますが、それらに比べても、関東の数とエリアの広さは突出しています。
つまり、関東エリアの海に近い縄文集落では、干貝を特産品として大量に生産し、黒曜石やヒスイなどと交換していたと考えられるわけです。
ただし、「交換」というと、お互いに持っている特産品を品定めして、「うちの名産品これだけやるから、そっちの特産品をこれだけよこせ」みたいな交渉を想像しますが、僕は瀬川拓郎の『縄文の思想』に書かれているように、石器時代の贈与と返礼、魂のやり取りが行われていたと考えています。
ちなみに加曽利遺跡では糸魚川のヒスイや、伊豆七島・神津島の黒曜石など、遠方の特産品が発掘されていますが、縄文時代には少なくとも弥生時代のスタートと重なるくらい末期にならないと、広域を移動して商品を売るような、専門の商人は出てこなかったと考えられます。
とすると、様々な地域の特産品は、近隣地域の集落との交流の中で、互いに贈与されながら、長い時間をかけて移動していったのでしょう。
縄文時代はそういうゆったりした交流が可能な時代だったのではないか。だからこそ、大陸からほぼ隔絶されたガラパゴス状態の日本列島で、縄文時代は1万数千年も続いたのではないかと僕は考えます。
貝塚はゴミ捨て場ではない
もうひとつ貝塚で興味深いのは、貝塚から人骨が発見されていることです。
貝塚は貝の身をとった後の貝殻をゴミとして捨てる場所だったと考えがちですが、だとすると、どうしてゴミ捨て場から人の骨が出てくるのかということになります。
集落で嫌われていたやつの死体が捨てられたということでしょうか?
たとえ嫌われたり、周りに迷惑をかけたやつだったとしても、霊や魂が生きて偏在していると信じていた縄文人にとって、遺体をゴミとして捨てることは考えられません。
貝にも人間同様、霊・魂があるという思想
この博物館の展示では、河野広道という考古学者の「貝塚はアイヌのイオマンテのような『物送り」の場であったのではないか」という説を紹介しています。
つまり、アイヌが自分たちによって殺され、食べられた熊の魂を天に送るように、貝塚の縄文人は貝にも魂が宿っていると考え、その魂を貝殻と共にとむらい、天に送る儀式を行なっていた。
人間も死んだら貝と同様に貝塚で儀式を行い、天に魂を送っていたと考えれば、貝塚に死者を埋葬することに何の不思議もないわけです。
人間が自分たちを万物の上に置いて、自然界の生き物や土地を支配する権利があると考え始めたのは、たかだか500年くらい前のことです。
縄文人は自然界のあらゆるものを、自分たちと同様に、霊・魂を持つ存在として尊重していたのでしょう。
人が謙虚にあらゆるものを敬う価値観の中で生きていたから、縄文時代は長く続いたのではないかという気もします。
人間が自分たちを地球の支配者だと勘違いし出して500年。
縄文時代の1万数千年と比べたらほんの一瞬みたいな年月で、人類は地球の環境を破壊しつつあります。
だから僕は1万年以上続いた縄文人や、数十万年続いたネアンデルタール人の生き方・考え方が気になるわけです。
次回はこの博物館に展示されている加曽利式土器と、丸木舟の復元モデルについて書きます。
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