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三千世界への旅/アメリカ5

アメリカン・ネーションズ 始まりの歴史2


開かれた新天地「ミッドランド」


ニューヨークの南にあるフィラデルフィアは、1682年にウイリアム・ペン率いるクエーカー教徒が入植した土地です。

クエーカーは正式名をReligious Society of Friendsと言い、日本語ではフレンド派、キリスト友会と呼ばれたりします。17世紀に清教徒革命の内戦が起きたときに誕生した宗派で、一切の暴力を禁止し、教会による制度や儀式を拒絶すること、神秘的な霊体験を重視するのが特徴とされます。

カトリックに反対するプロテスタントの一派ですが、その中でも友愛や平等、互助など初期キリスト教の特徴を持っている宗派だといえるかもしれません。

クエーカーは他のキリスト教会派と違い、会派にこだわらず、すべての人間と平等に接し、必要なら助ける人たちなので、フィラデルフィア植民地にはヨーロッパからユグノー(カルヴァン派)やルター派の信徒たちがドイツや東欧、北欧など様々な地域から入植してきました。

これがニューアムステルダム/ニューヨークとは別の意味で、フィラデルフィアを多様性のある活気に満ちた都市へと発展させていきました。独立革命後の一時期、合衆国の首都が置かれたのも、この都市が当時のアメリカ人にとって、特定の勢力の利害に偏らない開かれた場所だったからです。



内陸への拡大

ちなみにフィラデルフィアという名前はウイリアム・ペンが考えたもので、ギリシャ語で兄弟愛の都市という意味だそうです。

この植民地は内陸へと広がり、ペンシルベニアと呼ばれるようになります。これはペンが彼の父の名前から、「ペンの森」と名づけたのだそうです。

このクエーカーたちから始まったネーションを、ウッダードは「ミッドランド」と名づけています。

この「ミッドランド」が、単なる「内陸部」という意味なのか、それともイギリスのミッドランドのように、その国の一番繁栄している主要エリアみたいなことなのかいまいちわかりませんが、清教徒たちによるヤンキーダムが五大湖エリアへ居住地域を拡大していったのに対し、このミッドランドはそれを大きく囲むように中西部からカナダとの国境エリアへと広がっていきました。

ヤンキーダムが、いくら内陸部へ伸長・拡大していっても、主体はイギリス系のプロテスタントが支配するネーションだったのに対し、ミッドランドはヨーロッパのいろんな人々が混在するネーションとして発展していきました。

オランダ人が建設したニューネザーランドがあくまで国際商取引都市で、ニューアムステルダムがイギリス人の支配するニューヨークに変わっても、あくまでこの国際交易都市の周辺にから広がらなかったのに対し、ミッドランドは多様性を許容しながら自分たちの土地を開拓していきました。

ヤンキーダムの特徴が清教徒の特性である自分たちの信仰に対する絶対的な自信と、自分たちの信念を他人に押し付けようとする攻撃的な傲慢さだとすると、ミッドランドの特徴は考え方の違う他人と融和し、共存しようとするクエーカーの寛容さだと言えます。

後のアメリカは、政治的にはヤンキーダムのカルチャーに牽引されながら、社会的にはミッドランドのカルチャーが作用している国になっていったと言えるかもしれません。


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