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歳を重ねた今気付く、松田聖子の凄さ

最近、80年代90年代の懐メロを取り上げた番組が増えてきたなぁと感じる。

若い人の間で昔の歌謡曲が再評価されているからだろうか?レトロブームが音楽にも影響してるのだろうか?それとも、4、50代のテレビマンが番組の決定権を持つようになったからか?

当時ファンだったアイドル達の懐かしい映像はもちろん垂涎もの。家事の手を止めてテレビに近づき、一緒に見ている子供相手にそのアイドルの魅力やその後の恋愛遍歴などを力説してしまう。

そして気づいたことがある。
当時の私にはわからなかったアイドル達の魅力や凄さに、この歳になって初めて気づくことがあるということに。

今回は松田聖子さんについて書いていきたいと思う。中森明菜さんについても少々。

(以下、当時の雰囲気やテンションで書かせていただきたく、勝手ながら敬称略いたします)

…………

80年代を代表するアイドルに中森明菜と松田聖子がいる。

何故か当時、中森明菜が好きな人、松田聖子が好きな人、はいたけれど、中森明菜と松田聖子の両方を好きな人はあまりいなかったように思う。

そして私は当時も今もどちらかというと中森明菜派だ。

明菜独特の伸びやかな声、姿が現れた途端に見ている人を曲の世界に引き込むオーラとパワー…アイドルという枠を超えたアイドル。それを10代からやってのけていたのだから、本当に信じられない。その魅力は令和のいま当時の映像を見ても全く色褪せていないし、今の若い子にも明菜の凄さは伝わっているようだ。

当時、中森明菜が好きだった私は、「THE アイドル」とも言うべき松田聖子の魅力について、実は今ひとつピンと来ていなかった。
潤んだ瞳で見上げるような視線が「ブリッ子だなぁ」と思っていたし、甘々な声でおちょぼ口で喋る様子は「男に媚を売りすぎなのでは?」とむしろ少し批判的に見ていた気がする。

しかしこの歳になって映像を見ると、松田聖子の凄さがやっとわかるようになってきた。

松田聖子はどの映像を見ても、髪の毛の先から爪の先まで「松田聖子」をやっている。素が見えない。照れ笑いする時の顔の角度すら事前に計算済みのようだ。どんな風に歌えば客が喜ぶのか、視聴者はどんな松田聖子を求めているのか、それらを全て理解して計算して強靭な精神力でそれをやっているように見える。ハードスケジュールだっただろうし時にはメンタルが辛い時もあっただろう、でも松田聖子はいつも安定して「松田聖子」だった。全く乱れない、隙がない。

その点で考えると中森明菜の方が当時から人間味があった、モロ出しくらいに。面白い時は大口を開けて笑うし、プライベートが辛い時は隠しきれない辛さが滲み出している。
明菜の凄さはそのプライベートすら歌唱の糧に、悲しい歌にその気持ちを乗せて情念の歌に昇華させてしまうところなのだけれど。

そして松田聖子は折れない。
恋人と別れても離婚しても、バッシングされても、芸能記者が突撃で失礼なことを聞いてきても…
真ん丸に目を見開いて、ツヤツヤお肌におちょぼ口、目をキラキラさせながら視聴者に可憐な「松田聖子」をお届けできてしまう。
子供を産んでも、子供が成人しても、再婚しても、再再婚しても、髪にラメを光らせてフリフリのドレスで清純な「松田聖子」をお届けできてしまう。
そういえば聖子ブランドの音符のマークのアパレルショップもあったよな…今もやってるんだろうか?


しかし数年前、抱えきれないほどの悲しい出来事が起きてしまった。
当初その年の紅白に出ると言っていたそうだが、それを聞いて悲しみに飲み込まれないその意志に驚愕と感嘆した。そして「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」と松田聖子の「松田聖子」たる悲哀も同時に感じてしまった。
結局出演は見合わせられたが、その気概だけでも松田聖子という人の人外レベルの強さが伝わってくる。

松田聖子は折れない、きっと折れていない。
今は岩陰で熱烈なファンに支えられながら傷ついた羽根を休めているのだ。

いつか全てを超越した「松田聖子」にテレビで会える日を待っている。
あの可憐で清純で気高く強い「松田聖子」に。


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