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嫁姑問題の根本について考える

「嫁姑」と聞いて
どの様な関係を想像するだろうか?

笑顔で肩寄せあって
幸せそうにたたずんでいる二人の女性

…を想像する人は
残念ながら世の中で少ないと思う。

意地の悪い姑と陰で泣いている嫁、
やられっぱなしの可哀想な姑と気の強い嫁、
物言いたげな二人の女性が睨み合っている様子、
それらを想像する人の方が多いのではないだろうか。

現にストレスフルな嫁姑関係に悩む女性は
ネット上に星の数ほどいるらしい。
掲示板や質問サイトには
似たり寄ったりな内容の嫁姑問題が山積みだ。

日常世界においても
高齢女性たちは喫茶店で嫁の悪口を言い合い
嫁たちもまた職場や公園で姑の愚痴を言い合う。

どうして嫁と姑の間には
深くて暗い川が流れてしまいがちなのだろう。

私も縁あって十数年前に夫と結婚、
姑という関係性の女性ができた。
優しくて親切な女性だと思う。
ほぼ毎週会うのでお世話になることも多く
感謝することは山ほどある。
比較的良好な嫁姑関係ではないかと思う。

しかしそんなお姑さんに対してですら
たまにアレ?と思うことはあり…。

どうして嫁姑はこじれがちなのか?

私なりに導き出した嫁姑問題の根本は
お互いの想像力の欠如
ではないかと思うのだ。


我が家の場合、夫は私より6つ年上、
会社ではある程度責任ある仕事も任され、
青髭と口から漂うタバコ臭、
痩せ型だがそれなりにふっくらしてきた下腹。
どこからどう見ても立派な「オッサン」だ。

しかしそんなオッサンでも
お姑さんの目の中に映る夫は
いつまでも愛らしい息子チャンなのだ。
まるで夫の体に幼い男の子の姿が
プロジェクションマッピングされているかのよう。

義理の実家に行くなり
リビングで座布団を枕に大の字で寝る
大きな息子さん(夫)。

その間、私もゆっくりできたら良いのだが
「◯さん(私)ちょっと手伝って」
「◯さん(私)ちょっと教えて」
「◯さん(私)代わりにやってちょうだい」

うーん…
私に全知全能の力はないし
何でもおまかせの便利屋ではない。

姑の「何もしなくてもいいからね」を
鵜呑みにしてはいけないこともわかってきたし、
全く頼らないのも可愛げがないようだ。

なんだこの心理戦?…ただただ気疲れ。

姑にとって初対面から大人の女性だった嫁は
息子より若かろうが力が無かろうが
容赦なく大人であることが期待されている。
息子はいつまでも息子チャンなのに。

今度、実家から幼少期の写真を抜き取って
おでこに貼って行ってみようかな?

姑は嫁が他のお家で同世代の夫婦に育てられた
可愛い「お嬢チャン」だったことを
忘れてしまいがちなのだろうと思う。

かわって嫁の方も姑のこれまでの苦労や努力に
思いを馳せる想像力や余裕がないようにも思う。

幼い頃は息子の無限の体力に付き合い、
学童期は子供同士の喧嘩に気を揉んで、
一人前に稼げる男に育てるため
ある人は勉強を頑張らせ
ある人はスポーツクラブの送迎を頑張ってきただろう。

好きになった男(夫)は
姑の努力や苦労によって形成されたと言っても
過言ではないのかもしれない。

嫁であるご自身に息子さんがいたら
自身の周りに男の子を育てている友人がいたら
その方の姿を姑に重ねてみてはどうだろうか。

大袈裟でなく心血を注いで育ててきた息子を
ぽっと出の若い女に横取りされた気持ち。
姑の目には五割り増しになっているであろう
息子の優秀さと優しさと頼り甲斐。
もっと優しく知的で美しい女性と
結婚できたんじゃないか?と思う気持ち。
(実際は割れ鍋にとじ蓋なのだけど)

愛する息子まで嫁の味方につく時の寂しさ。
私の方が息子のことをよくわかっているのに。
私の方が息子のために何でもやってあげるのに。


互いに相容れない気持ちを抱えた二人が
ストレス無く仲良くやっていけると思うこと、
そもそもそこに無理があるのだ。

「こんにちは」とお互い挨拶できただけで
上出来と思って十分だろう。

姑の立場にある人は嫁を見る時に
幼い女の子の映像を重ねてみてほしい。
嫁の立場にある人は姑を見る時に
息子を育てる自分や友人の姿を重ねてみてほしい。


夏休みの帰省シーズンが近づいてきた。
気の重い日々を過ごしているお嫁さんも多いだろう。
息子たちの帰省は嬉しいけれど
ストレスも感じている姑さんだっているだろう。

ほんの少し想像力を広げてみたら
例年のモヤモヤやイライラも
少しはおさまらないだろうか。


全く無くなることはないだろうけど。


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