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大人の「創曲」 ファイル1

今回は Oto to Art 初 「大人編」 についての活動報告。

「大人編」では、まず僕 高雄飛と「音とどのように向き合えば良いのか」について時折ヒントを与えながら対話を進める。

詳しく説明する前に、大人編の Oto to Artを順序立てると、こうなる。

ウォーミングアップ (音遊び、耳を開く、即興演奏) 10〜20分程度

「創曲」スタート

「テーマ」を決める

マインドマップ作成

キーワードやイメージに合った音を抽出

「音楽を創る」プロセスを充分に楽しむ


大人編のメインディッシュは「創曲」と呼ばれる(僕の造語) マインドマップを用いて 言葉の断片やイメージをお互いに出し合いながら、それを落とし込んで音楽を創るというメソッドである。

このメソッドは、僕が個人で行っているピアノレッスンの中でも取り入れて来たものだが、ピアノを弾けない人、楽器をやったことがない人にも取り組んでほしいという想いがあり、Oto to Art の大人編の中に組み込んだ。

「作曲」 は 一人の音楽家が一人で音楽を作ってゆくイメージが一般的にあると思うが、「創曲」では参加者全員が独りの作曲家になる。「曲を書く」 のではなく、「音楽を創る」 そのプロセスを楽しんでゆく。
作曲ならぬ、「創」曲。創曲については後ほど詳述する。

今回は、30代の女性Mさん。彼女はOto to Art 初参加であるが、大学時代は英文学を専攻していたらしく 「詩」 や「言葉」 に触れて来たようだ。創曲において、どんな風に言葉から音へイメージが繋がるのか、楽しみである。

まず、創曲に先駆けて、「耳を開く」為のウォーミングアップを行う。音に対する解像度をここで上げてもらうのが狙いだ。

大人の為の Oto to Art、スタート ♪

いつものように、会場に無造作に広げた楽器たち。その中にはもちろん、何膳もの箸やらオイル缶など、ふつうは楽器とは認識されていないものも混じっている。また、ギターやカンカラ三線、リラ、トイピアノなどの弦系の旋律楽器や様々な笛類、そして打楽器などなど・・・バリエーション豊か。

まずは、この楽器達を5分間「何も考えずに満遍なく触る」。何も考えずに、と言ったが、一つ与えた取っ掛かりは、「満遍なく全楽器を触る」ということ。とにかく音を鳴らす鳴らす。

5分経過。

次は、今ほど触った楽器たちの中から自分の「お気に入り」を一つ選ぶ。

ここからが、ウォーミングアップ部分のミソである。

「お気に入り」を選んだら、その一つの楽器で「出来るだけ沢山の音を出そう」としてみる。これは、耳を開くのにとてもいいエクササイズである。

大抵、楽器に触れ始めたばかりの段階では、音の「基音」の部分に耳が行く。太鼓なら「ポーン」とか「カン」とか。けれど、一つの楽器(モノ)は実は、さまざまな音を出してくれる。さまざまな表情を見せてくれる。それらを引き出そうと、「試みる」。試みることが重要であって、いくつの音が出せたかという数の多さが重要なわけではない。試みることで、耳がひらく。今まで聞こうとしたことのなかった音も、聞こえるようになる。

実は音は、鳴り続けている。一つの音が鳴るように聞こえる時も、無数の音がそれに連れ立って鳴っている。音と音が繋がり「うねり」が生まれる。僕はこのうねりを「広い意味でのリズム」だと捉えている。そうやって音に向き合うと、音が鳴らない瞬間はない。耳に聞こえなくとも、鳴っている音がある、というのが感じられてくる。ここまで来ると、全身が耳のようになる。音楽をやるスタートラインに立つ。

この感覚を持った上で既存の楽器に触れるのと触れないのでは大きく違うのを、実感してもらえる。

「楽器は出来ない・弾けない」のは「技術がないから」。

僕は、そういう固定観念をぶち壊したいという狙いがある。技術の前に、音に対する「見方」を教える必要があると考えている。

紙袋ひとつで、幾つの音が出せる?

Mさんには もう一つ、紙袋で即興演奏をするというワークもやってもらった。「一つの楽器から沢山の音を出す」でやったことを踏まえて、紙袋を鳴らす。

当然、一音でネタ切れ、なんてことは無くなる。それに、二人(Mさん、僕)で一つの袋を鳴らすので、他の人が鳴らしていない音を鳴らしてやろうという欲も生まれる。これが音への探究心になるし、二人以上でこのワークをやることの重要な意味の一つでもある。袋を爪で引っ掻く、揺らす、叩く、指をつけて離す、また最後は破る、まで。さまざまなアプローチが生まれてくる。前に鳴らした人と違うことをしようとするので、例えば、同じ「引っ掻く」というアプローチでも、強弱を変えたりなど、自然に工夫が働く。

「一つの紙袋」という強い制限の中で音のイメージを膨らませた上で、再び、一番はじめに戻る。

改めて、無数の楽器たちを鳴らしてみると、向き合い方や、生まれる音はどう変わるだろうか?

今度は、三人(Mさん、エマ、僕)で行う。
「自分が鳴らす音全てをつぶさに聞く」という意識で、三人で即興演奏をする。すると、どうだろう。音に対して耳が開いているので、細かな音、鳴らす前の呼吸までをも拾いながら演奏するので、自然に物語も生まれる。気づけば、無意識にそれぞれ別の人が鳴らす音も聞いている。

演奏が終わると、不思議だが、自然に拍手が起きる。最後の音が消えるその時まで、耳はひらいている。音が消えてからの余韻まで聞いている。その時、僕らの意識はどこに居るのだろう?無音状態だが、耳をひらかずに呆然と立ち尽くす無音状態と、耳をひらいた上で佇む無音状態が大きく違うことに気づく。不思議と、「一曲演奏し終えた」という感慨が生まれるからか、拍手したくなってしまうのだ。思わず声も漏れる。このワークをやると、一様に、「なぜかわからないけど音楽になっていた」という感想が生まれた。

この即興の様子は、ボイスメモに残しておき、演奏後に聴く。演奏中と、録音されたものを聞くのと、聞こえ方が違うのが面白い。皆さん、何をやったか覚えていないから、サウンド全体として聴いた時の印象にびっくりし、静かに聞き入ったり、所どころ笑いが漏れたりする。

※後日 人数を増やした大人編で同様のワークを行ったが、自然発生的なアンサンブルが生まれた。僕自身も参加者の皆さんも、驚きを隠せなかった。音楽の始原に立ち会っているような感覚になる。その後、休憩を挟み、創曲に移ったのだが、皆休憩中にも関わらず音を鳴らし続けていた。音を鳴らすことが、ワークショップに来る前よりも自然になった、音に対して自分自身がひらかれたことを証明する様な光景だった。

人数を増やしてのワークショップについてはまた別稿に譲として・・・

再びMさんとのOto to Art の話に戻ろう。

Mさんとは ウォーミングアップの締めくくり、かつ創曲に繋がる橋渡しの意味も込めて。
一枚の写真を見て、即興演奏。

インカの写真を通して インカの時代へタイムスリップ。即興演奏。

鳴らす音を全部つぶさに聞くワークの中で、なんとなく南米の辺境部族のイメージが湧いたので、書斎から『インカ マヤ アステカ展』の要覧を持って来て、その中から一枚骸骨に眼球の剥製を嵌め込んだ写真を選び、それを見ながら即興演奏を行った。

全員で同じイメージを共有するためのこの写真は、広義の「楽譜」 の役割を果たしていた。即興演奏の中により物語性が生まれ、非常に面白い体験だったと思う。 ここまでがウォーミングアップだが、ウォーミングアップだけでもかなりの密度であることにMさんは驚いていた。  

そして、いざ創曲。次の間へ移る。

ニュージーランドの鳥「キウイバード」のぬいぐるみ
(Mさんの膝に乗っています)

シンセサイザーとPC、それから長机が置いてある。部屋に入ったMさんの目に最初に留まったのは、僕らが「ボコちゃん」と名付けて可愛がっている、ニュージーランドのキウイバードのぬいぐるみだった。なので、今回の創曲のテーマはズバリ、「ニュージーランド」にした。 一枚の紙と鉛筆を前に、「ほんとにここから音楽が生まれるんだろうか」「楽器の弾けない私が音楽なんか作れるんだろうか?」と恐る恐る、半信半疑の体だが、構わずに進めてゆく。 

紙に、「ニュージーランド」と書き、そこからイメージする言葉をマジカルバナナ式にとにかく書き出してゆく。 このプロセスが、なかなか緊張感があり、楽しい様子である。この後もっと楽しくなってくる。 

ひとまず、ある程度言葉が出た。 それぞれ書き出したマインドマップを見比べる。共通して書き出したイメージもあれば、独自のものもある。共通していたのは、「大自然」「海」「原住民」などである。共通していたものは、ひとまとめにする。 

ここから、問いかけが始まる。

僕が、例えば「海」に関して「海は海でもどんな海?」という風に、よりイメージを広げる方向に問いかけを行ってゆく。言語化したつもりでも、言語化された言葉の背後には「言語化されていない領域」がそれぞれ広がっているものだから、そこを突いていく。このプロセスが非常に刺激的だ。 

Mさんにどんな海か尋ねると、想像を遥かに上回るような豊かなイメージが即返ってきた。 

その海は、澄んでいるが、いわゆるリゾートビーチのそれではない。もっと深くて、深過ぎて底が見えない。そして波はこわいほど静か。 

「湖みたいな?」

「そう!湖!色は濃い。水色というよりはもっと・・・」

「こんな感じ?」(僕が壁にかけられた絵の濃紺をさして)

「そうそう!そんな感じ!」

ここまで来ると、もう音のイメージは既に見えている。シンセサイザーの前に立ち、まずは今ほど話したような海を思わせる音色を探してゆく。「あ!」と思うものがあれば、僕はそれを候補としてメモしてゆく。 

いくつか出た候補の中からまずは一つ音色を選び、テキトーに弾いてみる。ウォーミングアップが効いているのか、鍵盤に対しての抵抗も薄れ、Mさんも自ら何かしらの断片的な音を鳴らし始める。「それだ!」というものを僕が拾い、その鳴らし方やサウンドのイメージを持って弾いてもらう。偶然を拾うことは重要なのだ。

まずは、イメージに合った音を一緒に選んでいきます。

そんな感じで弾いていると、Mさんはまた新たなイメージが生まれたらしく、「この音色だったら、海を大きなワシのような鳥が旋回して見下ろしている。それから海に急降下し突っ込んでゆく」と、両手を広げ羽ばたかせながら説明し始めた。

みんなでワシになってみる。

すると次は僕の方に新たな展開が降りて来た。「海に突っ込んだ後はワシが鯨になる展開にしよう!」これは荘子から少しインスパイアされた。言葉が言葉を呼ぶ。言葉がイメージを呼ぶ。イメージがイメージを呼んで物語になる。みんなで物語を編みながら音楽にしてゆく。ここが創曲のものすごくエキサイティングな部分だ。こうなると、みな俄然ワクワクし始める。 

イメージを持ってMさんが戯れに弾いた感じが良かったので、「じゃあ早速その感じで行きましょう!」と録音ボタンを押す。 

録音する度にプレイバックを聞く。大体、自分がこんな演奏をしているなんて信じられない!というような反応が返ってくる。 録音した音をもとに、更にほしいイメージや音をみんなで探ってゆく。もう十分だと思ったら、次の展開を考える、という形で進めてゆく。 

海原の上を旋回するワシの次は、海に潜って、鯨が泳ぐ。その後は、アボリジニのダンスが始まる、という展開で今回の創曲は終了した。 

出来上がった音楽は10分に渡る組曲になっていた。完成した曲をみんなで聴く。拍手喝采。1時間くらいでこれを完成させた、という驚きと、楽器経験の無い自分が作ったとは思えないという驚きが生まれる。 

最初「私楽器出来ないよ」と言っていたMさん。
「創曲」の過程を通して、最終的には一人でキーボードに触れられるように。
徐々に、音楽との距離を縮めていく。

僕は 創曲において マインドマップを用いて対話し、イメージを抽出してゆく段階を「一次的創作」と呼んでいる。それに対して、イメージを音に落とし込んでゆく段階が「二次的創作」だが、まず重要なのは「一次的創作」である。出て来た「言葉」は、必ず、出した人間にとって何らかの「感触」を持っているはずだ。言葉が、言葉にならなかった別の言葉、類語を、新たなイメージを呼ぶ。沈殿していた澱物のような言葉を掻き混ぜると、どんどん表に上って来て、動き出す。このプロセスが創曲のミソだ。 

また、大事にしているのが、二次的創作においても、偶然出した音を拾いながら録音を進めていくということ。あくまで曲を「書く」作曲スタイルではなく、演奏性、即興性を含んだ制作プロセスであるということ。 

イメージを出しながら対話をしてゆくと、自分でも想いもしなかったような夢物語が展開する。居ながらにして、自らの内に広がる宇宙を旅することが出来る。

いわゆる「音楽レッスン」とは違った、あらゆる人にとっての「自分の音楽」 を形にする機会として今後も精力的に続けていきたいと思っている。

Mさん、ご参加有難うございました、また次回に。

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