〔事例2〕 アート鑑賞そして哲学対話の場へ

対話型イベントで、おたがいに
〔言葉がうまく行き交う〕ために、
どんな工夫ができるでしょう?

アートを鑑賞し感じた事を自由に、
まずは語ってもらうスタイルの、
(アートを呼び水にした) 哲学対話の会に
今回は参加してきました。

京都は南区、十条河原町近くのフリースペース
「井口倉庫」で5月GWに開催されていた
岩井春華さんのインスタレーション展
「真っ赤な嘘」。
会期中の 5月4日のみ、〔作品鑑賞〕後に
〔哲学対話イベント〕を行う、という
コラボ企画が開催。

元・工場&倉庫という労働作業感いっぱいの場で
3か所の映像上映、および立体作品で構成される
インスタレーション(空間芸術)は、
〔昭和なつかし感〕〔カラダしごと感〕を
存分に取り込んで夢幻的な世界に誘われる感じで・・・


展示にこめられたテーマは〔夢の既視感〕との事

しばしの観賞タイムの後に
哲学対話の司会進行を担当されたのは
哲学カフェ団体「カフェフィロ」代表の山本和則さん。

長らく、いろんな形態での対話イベントを開催され、
地域の交流スペース活用などにも
積極的に携わっておられる方です。

「まずは皆さんに、
展示の感想を聞いてみましょうか―――」

●「映像での、田舎の法事のシーン
 自分が体験した訳じゃないのに、懐かしい」
●「もう亡くなってるはずの人も、
 記憶の中では生きてらっしゃる気がした」
●「見えてる映像は、リアルなのか 嘘なのか。
 記憶になった時点で、既にフィクションなのかも」

皆さんからの感想が出たところで 山本さん、

「それでですね、ここから
 哲学対話のテーマを決めたいのですが。
 何か問いを設けて 考えていくのが
 哲学対話ですので、
テーマは
「●●●は、▲▲▲なのか?」
という
問いの形にもっていたいと思います」

皆さんから いくつか候補が出て、

結局今回は
「嘘は、記憶になりうるか?」
という問いが
対話のテーマに。

山本さんらが運営される印度乳業さんからの
アイスチャイの振る舞いが ありがたく、
軽くティーブレイクしたところで、
哲学対話の開始です。

テーマ「嘘は、記憶になりうるか?」

●「子供の頃、僕がやった事が 弟のお手柄に
 なって、訂正しなかったので そう広まった」
●「認知症の父は、他人のやった事柄を
 自分がやった事だと 自慢気に語ります」
●「小さい頃サンタがいると信じていたが、
 ある日、親がサンタをやってくれてるのを
 見て、そうだったんだあと、強く記憶に」

▼山本さん
「なるほど、嘘そのものの記憶の他にも、
だました、だまされたという行為自体も
強く記憶に残りますね―――」と

さらに 皆さんから、

●「悩みをもった人たちの交流会で、
 『それってよくある事ですよ』と励ましたら
 後日忘れた頃に『あの言葉に傷ついた』と
 言われ、ショックを受けた事があります」
●「人は、自分の心を守るために、
  嘘かも?と思っても 信じ込むものなのです」
●「トランプの流すフェイク情報だって、
  信じたい人は 疑わずに信じるのでは――」

▼山本さん
「なるほど、嘘のそもそもの意味も
 考え直す必要があるかもしれませんね。
〔だます〕という意味と、
〔真実じゃない情報〕いう意味が
 あるんですねー--」
と続け、
さらに 皆さんから、

●「何がウソかは、簡単に決められないもので
  自分が直接確認してないものは、
  すべて、ウソの可能性は あるはずです」
●「先ほどの映像の、田舎の法事の場面を、
  皆さん『懐かしいと感じた』と
  記憶を揺さぶられたかのような発言を
されてましたが、
  自分の体験じゃないのに そう思うのは
 〔他人とつながりたい〕とか
 〔思いを共有しあいたい〕という願望を
 潜在的に持っているからではないでしょうか?」

と、さらに 深い意見が出て、
▼山本さん
「記憶は、その再現性に問題があるにも関わらず
 つながり・認識共有のため
 周りの人には〔再現性〕を求めちゃうんですね。
 『あれって、ああだよね』という同意が通じないと
 コミュニケーションが成り立ちませんもんね」
と、しみじみ共感。

●「〔記憶〕って、皆で共有できないと、
  そもそも 役に立たないんですね」
●「他人をだます〔意図的なウソ〕をつく人は
  正しい情報と偽の情報の2つを、
二重に記憶するハメになるのです――」
●「それでも人は、思い出や
 記憶を大切にして生きるもので、
 〔傷つけられた〕という記憶であっても
 それを大切に抱えて生きる 生き方を
選ぶ人もいらっしゃるんです」

皆さんから いろいろ意見が出たところで
▼山本さん
「記憶するためには、どうしても
意味づけとかストーリーとか必要ですよね。
やはり、ウソは
記憶形成のために必要なのかも――」と

今回の展示作家の岩井さんからは
「クリエイターとして、作品に込めた意図を
皆さんに予想以上に汲み取ってもらえて
嬉しいです」と 
締めの言葉を頂き

かくして、皆さんから深い考察、意見が出て
対話終了

哲学対話とは、
特定の結論に収斂させる必要はなく、
ひとりひとりが参加して いい対話ができる事
それ自体が目的だそうです

参加してみた個人的な感想は、
一言「楽しかった・・・」

このような対話型の交流イベントへの参加は
コロナ禍以来4年ぶりの私

終了後、
帰路につきながらも
脳の中で、皆さんの言葉が 反芻し
さらなる言葉や アイディアが
バクバク湧いてくるのが さらに愉しかったです。

対話を引き出すのは、〔問い〕のチカラだと
つくづく思いました

最初に 良い〔問い〕を創ることで
対話の成否が 大きく変わってくるようで。

今回の学びは これです。

●イジリの眼〔4〕●
  ↓ ↓ ↓
「●●●は、▲▲▲なのか?」という
問いの〔型〕が、
脳から 言葉を引き出す」

そして、アートは 感性に働きかけて
問いを 生み出してくれるものなのですね。

いろいろ、体験してみて学べました。

関係者の皆さん、ありがとうございました。

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あなたの周りに 〔みんなの居場所〕を。

〔語らいのある世の中〕づくりを目指し、

イジリは 投稿を続けて参ります。

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