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流離と意馬心猿(1)「相槌、記憶と春」


流離(サスライ)
あてもなくさまようこと。流浪(るろう)。

使用例:さすらいラビー ※違う

意馬心猿(イバシンエン)
煩悩や情欲・妄念のために、心が混乱して落ち着かないたとえ。

対義語:明鏡止水



言い訳はよそう。
怠惰でしかない。ここまで一人旅の記録を放置していたのは。

残念な特技のひとつに、
それっぽい言い訳と相手を怒らせないへらへら笑顔
というのがある。悪い方の愛嬌と呼ぶのがいいかもしれない。

だけどnoteで話を書くことにだけはその特技を使ってはいけないというのは、どうやら私の取扱説明書の、何頁かはわからないが確実に油性ペンで書きこまれているようだ。もはやこれも言い訳めいていて情けないが、だからここまで放置していた理由とか、読んでくれてる人少ないけど居てくれてるとかもううるさいな、
言い訳はよそう。

残念な性格のひとつに、
嫌われたくないという意味でのビビり
というのがあるので、前言していた、時系列に沿って書く、のは守ってみる

ちなみに
残念な特技のもうひとつは
好きな漫才のくだりをすぐ完コピして日常会話に滑り込ませ、相手を困らせること、
です。ではいってみよう、旅一日目。


あるところに 人生初の一人旅を2日後に控えていながら、宿泊先からグルメ情報収集、持ち物まで何一つ準備していない愚か者がいた。当人曰く、これはウキウキ旅行ではなく粛々転職活動修行旅なのだから、娯楽要素は要らぬ、当人の心身さえそこにあればいい、とのことだ。そうして旅の予定や目的を親に報連相せぬままこれまで以上に日常を怠惰に、主に布団の上で過ごすいい歳こいたすねかじりがいた。

まあ1日目がなんとかなればその先も大丈夫だろう、3日後には奈良で母と叔母と合流して祖父と面会だし。
「まあ」が口癖の人は云々、と教訓めいたツイートが昨日のタイムラインに流れてきたことをぼーっと思い出しながら、リュックに自称・最低限の荷物を詰めていく。みるみるうちにリュックは膨れ上がり、マチを最大限に広げたそのリュックはさながらマリオシリーズに登場するノコノコの甲羅のようだ。

出来上がった甲羅を意味もなくポンポン叩きながら、出発時間を考える。カネコアヤノのライブの時間から逆算して、、と新幹線の時間を検索している手が、止まった。

、、、え、明日どこ泊まろう、ビジホ一人で泊まったこと今まであったっけ

そう、このすねかじり、世間知らずでもあった。なんとも情けなく恥ずかしい限りである。まあ泊まれないことはないだろうけども、この旅、交通費以外はケチりまくろうと思っていた。お金がないからね。

よって各旅先に知り合いがいれば連絡して厄介になってやろうという文字通りの厄介者がこの夜、千葉の端くれに爆誕するはこびとなる。
この厄介者、友達こそ少ないものの、何かのご縁で関係性を築いた過去が一度でもあればどれだけ久方ぶりであっても連絡を取ることに気まずさはあまり感じない図々しさを持ち合わせている。「名古屋在住の知り合い それなり仲良い」と脳内検索をかける。

見事ヒットした。中学時代、生徒会メンバーで一緒になって以来の友人、水波(ミナミ)が!!!!

心を許してといいつつ水波の名がすぐ思い浮かばなかったのは中学卒業後は進路が全く違ったのと、インスタにあまりあがってこない子だかr、、言い訳はよそう。ストップストップ。

なにはともあれ助かった。すぐに水波にLINEをしてみると驚くことに2秒と経たぬうちに既読がついた。後々聞いてみるとたまたまだったらしい。このたまたまに私は救われた。家に荷物を置いてお昼を一緒に食べたら観光でも
しよう、名古屋観光に1日も要らない、と断言する水波にライブまでの時程を丸投げしたことで1日目の予定が確定した。
リュックのチャックを締め、宿が見つかった安堵とライブを明日に控えた高揚感でほくほくしながら眠りについた。


14時過ぎ。指定された名古屋駅の「金時計下」でノコノコの甲羅を背負い周りをキョロキョロしていると、水波が先に姿を見つけてくれた。実に3年半ぶりの再会。水波は少し緊張していたらしい。こちらはというと、一人旅のわくわくとそわそわを両肩に乗せながらカネコアヤノの新譜を爆音で聴いて新幹線を降りたところで、水波とのコミュニケーションにまで気を配れていなかった。すまん水波。
安定した運転で名古屋駅前の広い道路からアパートまで運んでくれた。名古屋の家賃事情とかどこ区以外はどこもどんぐりの背比べとか、色々教えてくれたがびっくりするくらい思い出せない。すまん水波。

名古屋名物ど真ん中を堪能しようと、作戦というには緩すぎる流れで名古屋城近くの矢場とんを堪能し、名古屋城に入ろうとしたら時刻はすでに夕方、名古屋城の中に入れる時間には間に合わなかった。笑ってしまった。流離の旅の幕開けにはむしろぴったりかとまた笑いながら、遠目からしゃちほこの写真を撮った。そこから栄の方まで電車で移動し、商店街の中の古着屋さんを覗いたりテレビ塔まで案内してもらったりした。2月中旬の夕暮れはすでに暗く痛いほど冷たい風で私たちの頬を切って過ぎていく。
その後水波は、頼り切りの旅人をzepp名古屋まで見送り、ライブが終わる時間にまた駅で待ち合わせて第二の名古屋名物手羽先山ちゃんに行こうと約束して踵を返して行った。優しすぎる。ありがとう水波。


開演を待つ。ワンドリンクには問答無用でアルコールを、立ち位置は前回の横浜よりは少し後ろ目、手元のポールに寄りかかれるところを選んだ。
初めての土地で、初めての一人ライブハウス。開演までが永遠に感じられた。周囲の会話に耳を傾けると一人のさみしさが増幅する気がした。ヘッドホンを着け、気紛らわしに本を読んで待った。端から見たらカネコアヤノのライブの待ち時間にヘッドホンをして本を読んでるヲンナ、なんとなくヤバい。案の定本の内容はあんまり入ってこなかった。読んでいたのはドグラマグラ(上)。

名古屋のカネコアヤノで最も印象的だったのは、春。
「汗臭く 泥臭く いつでも今でも なれたら」アウトロ、細い腕を伸ばしてギターを弾き終え、首を小さく傾げたポーズがとびきりキュートで思わずッカ、カワイイ、、と呻いた。
わたしたち、で終えたライブは駅までの寒空の下でも頬が火照っているのがわかるくらい、余韻のある素晴らしいものだった。

水波は嫌な顔一つせず、2時間ぶりにまた名古屋駅まで出向いてくれた。
その後山ちゃんで手羽先とたこせんに舌鼓を打ちながらハイボールをあおった。そのお店にヘッドホンを忘れてくるというハプニングと真冬の夜2キロ弱を歩いて帰るという奇行を挟みつつ、1日目の宿・水波の家にたどり着いた。

明日の朝は近所の喫茶店のモーニングに行こうと、また水波が提案してくれた。「味噌カツに手羽先山ちゃん、喫茶店のモーニングと栄の商店街とくれば、名古屋観光のほとんどを済ませたと思っていいよ」と布団を並べながら水波はそう笑っていた。(味仙もあったが胃のキャパオーバーで断念した)

並んだ布団に仰向けになり、特に話題を探すでもなく駄弁っていると、修学旅行の夜のようだとくすぐったい気持ちになった。生徒会室でキャッチボールをして顧問にバレそうになったこと、一つ下の後輩のキャラの強かったこと、私たちの代で作った全校スローガンが今でも一部受け継がれているらしいこと。高校生の頃、たまたま帰りの電車で遭遇して一緒に帰った時も同じような話をしていたが、今はそれらの回顧の、その熱量が確実に落ち着いていることに気づく。

記憶の温度は水に似て、時間の経過とともに常温に近づいていくのだろうか。

冷たくなりすぎずに保存しておけることはある意味幸せかもしれないと、ぼんやりと思う。ぼんやりしながらちらりと水波を見やる。視線に気づき、水波もこちらを見た。一瞬の間をおいて、お互いまた天井の方へ向きなおした。

またぼんやりと、思い出す。

水波は中学の頃から、大木のようにまっすぐな人間だった。こっちが小っ恥ずかしくなるような(=ファンモンの歌詞に出てきそうな)言葉すらまっすぐ目を見て届ける人間だった。

そんな水波は昔から私のことを「すげえ奴だ」と言った。
同学年の生徒の名前と顔はほぼ一致していると生徒会室で作業しながらこぼした時も、efficiencyとeffectの意味の違いってなに?と会うなり開口一番聞かれて答えた時も、私が部活で腐って弱音を吐いて挙句自虐に走った時も、「お前すげえ奴だなほんと」と言った。嘘のない評価だとわかっていたからこそ、私は毎度「それを目を見て言う水波がすげえ奴でしょうよ」と冗談めかして返すしかなかった。照れ臭かっただけだ。

「今の恋人を失ったらあたし消えてなくなっちゃうかもしんない」

ぼんやりしている間、いや山ちゃんで飲んでいたあたりからほぼ絶え間なく水波の惚気話が続いている。相槌を打つのも追い付かなくなり、どうやら私は思い出すという作業で惚気の濃度を調整していたようだ。

電気を消した部屋の暗闇に溶け込んでもう何色だかわからなくなった天井を見つめる。
「私はそれでいい 恋して 愛を知ってしまった」カネコアヤノの声を思い出しながら、
「水波、あんたすげえ奴だよ」と最後の相槌を打って、眠りについた。


≪続≫

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