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認知症の姑の介護体験で感じてきたこと⑧

noteを始めて、介護に関する記事をあれこれ読ませてもらった。

このnote上でしか知らない方々だけど、似たような経験をされた方の記事には共感することばかりで、「ウンウン」とうなづきながら読んでいた。

もう私には今、介護は過去のことになってしまったけれど、そこに共感して「スキ」を送ることで、「応援したい」「頑張りすぎないでね」という気持ちを私なりに伝えているつもり。

何年にもわたる介護では、介護者の持つ感情には段階があるのだと思えた。

姑の粗相をする頻度が増えていき、いつからパッドから紙パンツにしてもらうか、悩んだ。

だが、姑が、パッドがずれて汚れた下着を、顔を洗う洗面所でこっそり洗っているのを見て、「あぁ〜😣」となった。

ごめんなさい🙏と、心で唱えて、思い切って紙オムツを履いて欲しい旨を伝えた。

姑は嫌がっていたが、「頼むから一度試しに履いてみて。今の紙パンツは薄手のものがあって、よくなっているから」と頼み込んだ。

姑が紙パンツを嫌がるのは、履き心地の問題ではないことは、よくわかっていた。プライドの問題だ。

この悩みは、介護に当たる人たちの共通の悩みではないか?皆さんはここをどう乗り越えたのだろうか?一度お聞きしてみたい。

心を鬼にして、タンスの中の下着を紙パンツに入れ替えた。
私「これでいくら汚れても捨てればいいから。もう洗濯しなくていいから」
姑「毎日捨てて新しいものを履くのか。もったいない。お金もたくさんいるでしょ」
私「パッドもつけるから。汚れたらパッドだけ替えたらいいから。お金のことは、〇〇さん(夫の名前)がちゃんとしてくれるから」となだめて、無理やり(?😅)納得してもらった(させた?😣)。

下のことに関しては、粗相をして部屋中汚物だらけにしてしまったり、粗相をしたショックで腰が抜けて立ち上がれなかったり、その度にてんやわんやの騒ぎになる。

でも、とりあえず、目の前に起きたことを処理しないといけないので、それを嫌がって放っておくこともできず、無心で処理していた。

そうした下のお世話は特に嫌だとか思うことはなかった、というか、そんなことを考えている暇がなかった😓

何か、こんなことを書いていると、姑の恥を晒しているような気がしてくるが(夫には絶対見せられないが)、これが介護の現実、誰にでもは告げられない介護者の本音だ。

姑が我が家に来て数年もすると、週3日のデイサービスとたまのショートステイにも行くようになって、歩けていたし、多少色々あっても、それなりに毎日のリズムができていた。 

かかりつけ医の先生方とも親しくなってきて、お医者さんとの付き合い方も、マスターして(?)遠慮なく相談もさせてもらえていた。

そんな頃、娘の妊娠がわかり、里帰り出産のために帰ってきた。

認知症の姑と、初産を控えた妊婦の娘。精神的な不安を抱えたこの二人を支えていくには、少々覚悟が要った。

今時そんな事はあまり関係ないという人もいるのかもしれないが、嫁に出した娘が産む子は、嫁ぎ先の大事な初孫。

血のつながった娘も、産まれてくる子も、大事な相手様から預かっているという責任感は重く感じていた。

でも私の母もしてきた事、世間でもそんな事はみんなしておられる事と、肝を据えて娘の出産に備えた。

ところが、これが、結構大変な事態になっていった。というか、私の介護の大転換点になった。

その話はまた次回に続く…という事で、今日はこの辺で⏰😆

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