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欧州スーパーリーグ騒動を眺めて~フットボールは村祭り~

皆さん、こんにちは。
このnoteを書き始めたのは2021年4月24日、東京では明日から三度目の緊急事態宣言が発令されます。
何のための、誰のための…という思いは皆さんとっくに感じている事でしょう。
こういう時こそ、笑顔で気楽に過ごすのが一番。そのためのナンバーワン娯楽がフットボール!…のはずでしたが、皆さんにもれなく巨岩を投げ込まれた事件がありました。

欧州スーパーリーグ立ち上げ声明。
そして2日ともたなかった瓦解。

事の発端や流れ、ここまでの経過と進捗はいろいろねメディアで取り上げていますので、ここで深く掘り下げる必要は無いかと思います。

ここでは備忘録として、また私の個人的な思いや考えを一応伝えてみようかと思い、つらつら書いてみることとしました。

賛同・異論・反論大歓迎!

【おはなし】

その1.フットボールビジネスの在り方
その2.今回ファンが立ち上がった理由は一つじゃない
その3.『村祭り』をレガシーとして遺すために

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その1.フットボールビジネスの在り方

今回はご存知の通り、首謀3クラブのUSA資本オーナーグループに、インフレ+コロナ禍でカネの使い途を考えていたJPモルガンがそそのかした。
そして人件費暴騰+コロナ禍で苦しんでいた南欧のクラブを、レアル・マドリードのペレス会長とユベントスのアニエリ会長がまとめて連合を結成した。

こんな図式だったと思われます。

ここでまず私が思った事は
①まだ大金を欲しがってるのか?
②どんだけどんぶり勘定で人件費を高騰させてるんだ
③ペレス会長が話した『持続的経済成長』って、どこに還元されてるのよ?

…という事です。

確かにフットボールという競技は、原始的な魅力に加えて、お国柄や民族性の反映されやすさが加わり非常に魅力的なエンターテイメントになりました。更にインターネットの加速的な拡大や航空機性能の進化、加えてEUやボスマンルールの存在で選手流動が進んだ事も、世界中の視聴者に身近な存在となった要因かと思います。

ただ、あまりにグローバルなビジネスとなってしまった結果、フットボールは『スタジアムで応援して観る』地元ファンのものから『スマホやパソコンで視る』世界中のサッカーファンのものになっていったのです。
故に、メガクラブ、特に今回の首謀12クラブはこれまでに未開の大陸だったアジアや北中米(かつてはアフリカや南米)から選手を獲得した経緯があるわけです。
しかもその選手には個人スポンサーがついてくる訳です。
アジア/北米ツアー、レプリカ/グッズ売上のための選手補充…

こうなってくると、札束攻勢で殴り合いに勝ったクラブが自ずと生き残りやすくなってしまうのは仕方ありません。
その中で、既にコロナ禍以前よりスタッフ/代理人の人件費高騰で破産寸前だったクラブが、コロナウイルスによる収入減で利息分も払えない苦境に立たされてしまった。
その結果スーパーリーグ構想という甘い蜜におびき寄せられた事実。
やはり問題は、コロナウイルスではないと思っています。

また、③で書いた『持続的経済成長』について。
これは、よりファンから遠いところにある目線だと思います。
クラブが経済成長を遂げて路線を拡大させる…これ誰のためにやってるんですかね?
スポーツクラブというのは地元に存続する事が重要であって、消滅しないようにする為に収入を得る、NPO法人に近い存在なのではと私は考えています。
セルティック、エヴァトン、マンチェスター・シティ、トッテナム・ホットスパー、サウサンプトンのように教会の活動から誕生したクラブ。
【ユナイテッド】と名の付くクラブはおそらく殆どであろう、労働組合が発端となったクラブ。ウェストハムの他にもマンチェスター、ニューカッスル、シェフィールド。アーセナルもここに入ります。


かつてのモデルだった『地元の名士が私財を投入→地元のファンがスタジアムにお金を落とす→スポンサー集まる→クラブ潤う→人件費・インフラ出資→クラブ拡大路線』といった形が現状では絵空事なのは重々承知してはいます。
ですが、ひたすら利益ばかり追い求めて、現場や地元に落とさないモデルが健全だとはとても思えないのです。

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地元名士のオーナー代表
ブライトン・ブルーム会長とエヴァトン・ケンライト会長


その2.今回ファンが立ち上がった理由は一つじゃない

今回の12クラブ蜂起が電撃発表されて、速やかに反応をみせたのはコメンテーターとファンでした。
コメンテーターの急先鋒はご存じギャリー・ネビルさん。

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『100年の歴史を蔑ろにした』『勝点剥奪・リーグ強制脱退』『あいつらは今もZoomで金儲けの話をしているんだろう』と過激に批判を繰り返しています。他のクラブOBを主としたコメンテーターも然り。
そして翌日、即座にファン・サポーターが立ち上がりました。
リヴァプール・チェルシー・アーセナルのホームでは、試合前に1,000名以上は確実と思われるプロテストマーチが行われました。

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※スパーズがこの点で盛り上がらなかったというのが大きなポイントだったようにも感じます
クラブスタッフもそこに立ち合い、説得や説明に応じたようです。
何より首謀者たちがこの流れを見て、分が悪いと感じたのか即時撤退に踏み切ったきっかけになったのは間違いないでしょう。
しかし、5月2日にオールド・トラッフォードで起きた騒動は誉められたものではありませんが…(ほんのちょっとの愚行が、その他大勢の誠意を打ち消すというのはいつでもどこでもある話です)

【ビッグ6】と呼ばれる今回関与したクラブの首魁たち。
彼らは、今回【レガシーファン】と称されたファン・サポーター達が今回の件のどの部分に憤っているのかをしっかり把握する必要があります。
私が考える、地元ファン・サポーター心理は、
①メガクラブだけで戦う新リーグは競争力がなく、ビッグマッチの重要性や希少性が損なわれてしまう『ステーキや寿司も毎週食べてたら飽きるし病気になる』心理
②自分たちや地元を置き去りにして、オーナーが勝手に説明なしに主導したことに対する『クラブやフットボールは俺たちのもの』心理
この2つだと思います。
特に圧倒的に比重が大きいのが②で、これを失う事の喪失感・虚無感にほぼすべての世代のファンがアレルギー反応を起こしたのが今回ではなかったでしょうか。

外国のサッカーファンの多くの主張は、
③近々チャンピオンズリーグで採用されるといわれている新システムが定着した際、自分たち以外のクラブが好成績を収めた時に順位が下のメガクラブがより上位のコンペティションに参加できる【レジェンド枠】増設に対しての不公平性
に対しても主張していますが、これは正直地元のファンはどうでもいい位に感じているのではと。

①②の部分がプロテストの大きな理由になったことを、オーナーたちは予測できていなかった可能性は大きいと思います。
実際、ビッグ6の会長職たちが現場に足を多く運んでいたら同じ選択をしていたでしょうか。
①については、主にNFLやMLB、NASCARの経営手法をそのまま持ち込こんでエリートリーグを創れば世界中の視聴者を取り込めると考えたのでしょう。
ですが上記の北米スポーツビジネスシステムは、レギュレーションの徹底やドラフト戦略での戦力均衡性(とはいえ資金格差は出ますが)やサラリーキャップ導入によるチームビルド&スクラップがあってのもの。
現在の英国を含む欧州フットボールの標準的な思考とは大きく乖離しています。

更にプライオリティが高いと私が感じているのは②です。
こちらは上記したように、クラブの成り立ちが地元のコミュニティから始まった点で非常にユニークなのです。
一方アメリカンスポーツの各コミッションは、まず主要都市にフランチャイズを設定し地元の大企業にオーナーシップを依頼し、リーグ運営の安定に伴い中規模都市のエクスパンションという図式です。
いきなり本拠地移転とかがあるのも、リーグのファン層拡大が目的にあるケースもしばしばです。
アーセナルのオーナー・クロエンケ一族が、ラムズをの経営権を得て間もなく元のフランチャイズだったロサンゼルスに還った流れについて、当時ラムズがあったセントルイスのファンが『町の事を考えてなんていなかったんだな』と思ってしまうのも残念ながら当然の流れかと。
アメリカンスポーツというのはこういう事がいくらでも起きますし、今回のスーパーリーグ構想もこの延長線上にあると思っています。


その3.『村祭り』をレガシーとして遺すために

先ほど、フットボールクラブは地元密着のNPO法人のようなものであった…と綴ったのですが、その意味を理解するのに一番手っ取り早い方法は、
『スタジアムへ足を運んで一緒に観戦し、スタジアム周りで食事する』
これに尽きます。
今はコロナ禍で叶いませんが、行きの地下鉄で既にアルコールをひっかけたお兄さんたちがチャントを奏でるのを聞き、駅を降りて親子連れと並んで歩き、スタジアムでクラブと一体化し、勝利の美酒を浴びて帰る…
2週に1回のこの幸せを、おすそ分けしてもらうのが一番なわけです。

20年以上前から、これを私は『村祭り』と呼んでいます。
日本だけでなく、世界各地で行われている地元に密着した祝祭のようなものと、フットボールを位置づけて考えています。
踊ったり、歌ったり、神輿や山車を動かしたり。時には隣村とガチガチやり合う事もあるでしょう。

問題はここからです。
果たして、地元の祭りを地元の人以外で運営するのは、本当に健全なカタチなのでしょうか。
神輿の担ぎ手が足らないことを背景に、『お祭り野郎』たちが参加することで何とか祭りの体裁が整う少々残念な現状は、少子高齢化著しい日本ではよく見られるようになりました。
では、これをフットボールに当てはめてみると…
・メインスポンサーが日経225銘柄のような大企業で、
・スタジアムの名前が地元と全く関係ない外資企業で、
・ピッチ上には地元ユース上がり選手がせいぜい2,3人で、
・スタンドは埋まっているが結構な割合で外国人観光客

…これは地元の『村祭り』として健全なカタチといえるのでしょうか。
キレイごとかもしれませんが、冷静になって考えてみてください。
もちろん、これは外国人の私もその一部だという事は十分理解しています。
では、村の側でない側に立つ人たちができる事は何か。これは簡単です。
村のしきたりや流儀に従い、リスペクトし、学ぶ。
これに尽きるわけです。私たちは、村祭りを除きに・差し支えなければちょっと神輿を担がせてもらって文化交流を楽しませてもらう。
これ位の気遣いが必要なのではないかと思います。それは初渡英のときに強く感じた思いでもあります。そうした謙虚さが日本人のいいところ(たまには裏目に出ますが)でもあり、迎えてくれる側の現地のファンもこちらの立場を十分理解してくれることで、とても楽しい時間になっていくのです。
そのような姿勢が、21世紀の今、レガシーとグローバリズムが共存していくのに必要な結びつきなのかなと思いますが、いかがでしょうか。

やはり肌で村祭りを味わないと、こうした事を学び感じることは難しいかと思います。
IoTの進化で海外サッカー観戦がライブで、スマホの画面でエンジョイできるようになったことはとても素晴らしい事です。きっと幸せな人もたくさん生まれたでしょうし、メッシやロナウドのようなスターはエムバペやハーランドに代表されるZ世代に引き継がれつつあります。おそらくこの流れはしばらく続くでしょう。
ただ、この競技はただのスポーツでなく『村祭り』の側面が非常に大きい事を踏まえた方がよいであろうことも、村の部外者である私たちに必要なのかな…と日々思っている次第です。
早くコロナ禍が終わりますように。祭りを覗きに行きたいですからね。
【おまけ】
あとは…プレミアリーグ所属クラブを応援している私が言うのもなんですが、まだ渡英の回数が浅い方や初めての方、ぜひお目当てクラブの試合だけでなく、その近くの町の下部リーグ、なんならノンリーグの試合を観戦してみてください。
スポーツとしての競技レベルなんてどうでもよくなるくらい、『村祭り』感が満喫できると思いますよ。マナー良く過ごしていれば必ず歓迎されると思います。健全な国際交流、ぜひ楽しんでいきましょう!


とりとめのない話で感情的な部分も多いコラムになってしまいすみません…
いろいろな方に目を通して、感じていただきたいなと思い形にしてみました。
ここまでお付き合いいただき有難うございました。
よろしかったらツイート・note共々、イイネやご感想をいただけたら嬉しいです。お待ちしております。



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