小説:囚人番号02番は愛した(前編)

C.D.Wニュース社
片桐慶太様

 自分は、数ある取材依頼の中から貴方だけにお返事を差し上げています。それというのも、貴方であればこの事件を面白おかしく書き立てるようなことはせず、きっと真摯に真実をお伝えしてくださると確信しているからです。
 自分もこうなる前には、毎日C.D.Wニュースを拝見していました。その中でも、貴方が書いた記事については一度もふざけていると感じたことはありませんでしたから。
 テレビや新聞では駄目なのです。週刊誌など問題外です。この世の中で、比較的多数に発信され、なおかつ一定の信憑性を得られるのはインターネットによるニュースでしかないのです。
 ですから、貴方には全て包み隠さずことの真相をお話いたします。勿論取調べ担当にも全てを白状しましたが、彼らは自分の供述を薬物による幻覚と疑い、薬物の痕跡がないと知ると、片思いの相手と引き離されたことによる怨恨と断定しようとし、更には狂人の妄想として自分の責任能力すら疑ってかかる始末です。
 自分は措置入院なぞ真っ平なのです。全て自分の意志で行い、自分の目で見たことなのですから、それを真実として死刑台に送ってもらわねばいけないのです。あんなものが存在するという真実を知ってしまった今、自分は病院で長い時間を生きていくことなど到底できません。この手紙を書き終わったらすぐにでも死刑台に送ってほしいとすら思っているのですから。

 まず前提として、自分、一ノ瀬零次が檀日市郊外の山中にある小屋にて、複数名を殺傷した上、小屋に火を放ち、同輩であった藤咲七美さんを誘拐したことは事実です。
 自分の人間像はもう様々なメディアによって書き立てられているでしょう。いつも本ばかり、珠に怪奇小説を多く読み漁り、大学でも講義室の隅で静かに息を殺しているような臆病者、大体それで合っています。
 そんな臆病者の、良く言えば文学青年が何故そんな暴挙に走ったのかと、世間の人々は首を捻っていることでしょう。
 それを語るには、まず全て最初から、藤咲さんと自分がどういう関係で、二人の間でどんなやり取りが交わされたのかを語らねばなりません。既に他のメディアで書かれたことと重複している部分もあるかと思いますが、ご了承ください。
 ご存じかと思いますが、藤咲さんは不思議な容貌をしています。灰色のような、銀色のような、いずれにせよ少し白みがかった髪色です。そして目は薄い桃色で、光が当たる角度によってはきらきらと輝いているように見えました。
 これらの特徴は、彼女が生まれ持ったものです。そう聞かされた時、自分は彼女がアルビノか何かなのだろうと思いました。そんな特異な容貌を生まれ持ったとあれば、当然差別的な言動で傷つけられたり、奇異の目で見られ遠ざけられたことも一度や二度ではなかったようです。
 だからでしょうか、彼女は自分のようなはぐれ者にも、気さくに接してくれました。彼女も周囲から忌み嫌われ爪弾きにされていた辛い時期には、気晴らしに読書をしていたとのことで、しばしば文学の話で盛り上がったものです。
 お察しのことかと思いますが、そうした交流の中で自分が彼女に好意を抱くようになったのは確かです。尤も、気さくな性格で友達も多かった彼女からしてみれば、自分なんかキャンパスメイトの一人としか思っていなかっただろうことは大分前から重々承知していることでありました。
 なので、世間一般で言われているであろう「片想いを悲観しての暴挙」というレッテルをここで否定したいのです。確かに片想いであることを悲しく思ったことはありましたが、それで彼女や、周囲を憎んだことなど一度もありませんでした。
 自分が彼女を取り巻いていたであろう悍ましい連中に憎悪を抱いたのは、彼女が連中によって酷い目に合わされるに違いないと確信したからです。
 犯行の前日、顔見知りの学生が講義室に飛び込み、大声で藤咲さんが退学届を出したことを触れ回っていました。そんな兆候は全く見られなかったので、自分は驚いて事の真偽を問いただそうと思い、事務室がある棟へと走り出しました。ついさっき退学届を出したなら、まだその辺りにいるだろうとあたりをつけてのことです。
 脇目も振らずに走っていると、丁度透明なガラスのドアを押して外へ出てきた彼女と鉢合わせをしました。
 自分が何かを言うより先に、彼女は今にも泣きだしそうな顔で切り出しました。
「私、多分もう君に会えない」
 全速力で走ってきたせいで、どうして、と切れ切れの息の間に絞り出すことしかできませんでした。
「仕方ないの。お母さんにはもう、私しかいないから」
 それを聞いて、思い当たることがありました。確かに彼女は半年ほど前にお父さんを不慮の事故で亡くし、そのせいでお母さんも心を持ち崩していると聞いたことがあったのです。でも、まさかそれが退学するまでに発展するなんて、考えてもみませんでした。
「これ、受け取って。私はもう読むことができないから。きっと、君が一番大切にしてくれると思う」
 そう言って彼女が差し出した紙袋を受け取ると、ずっしりとした重みが指にかかりました。それは今や入手困難となった、稀親本の数々でした。
そしてそれを渡すなり、彼女はくるりと背を向けて走り出したので、慌てて後を追いかけました。稀親本を抱えて走るのは無理だったので、ドアの前に置き去りにする形にして。
 大学の正門前に車が停めてあり、それは彼女が乗るとすぐに走り出しました。無理矢理にでも停止させようとトランクに飛びつきましたが、車が激しく尾を振ったので、呆気なく振り落とされ、ナンバープレートに強く頭を打ち付けました。
 こうして、自分の元には彼女が残した袋いっぱいの稀観本と、喪失感だけが残されたのです。
 その後は、講義も碌に頭に入ってきませんでした。ずっとぼんやりしていたように思えます。
 重たい紙袋を抱えて家に帰ると、居間に座り込んでただただ呆然としていました。しかし体は呆然としていても、顔だけはグルグルと無意味に回転するものです。
 一体どうしたことだろう。お母さんがあまりに心を持ち崩して、つきっきりで介護する必要に迫られたのだろうか。でも、それだけであんな悲壮な表情をするだろうか。それに、神保町あたりに持ち込めば高値がつくだろう稀親本の数々を、ただのキャンパスメイトに過ぎない自分に託すなど、それくらいの理由で?
 彼女を連れ去った車の運転手は一体誰だったのだろう。必死だったから男か女かもわからないけれど、きっと彼女の母親ではないだろう。心を持ち崩した人が、あんなに適切に追っ手を振り切るなど不可能だ。
 延々と考えている内に、自分の中にある一つの仮説が生まれました。もしかしたら、心を持ち崩したお母さんは悪い人間に付け込まれて、藤咲さん自身もその悪の渦中に巻き込まれつつあるのではないか、と。
 心が弱った人が占いに嵌るとか、見目麗しい異性に騙されてとかで、多額の金品を巻き上げられるなんて話は実にありふれた、有り得そうな話だと思いました。そんな輩なら金を絞り取ろうと藤咲さんに目をつけて売り飛ばすなんてことも平気でやるだろう、そう思うと、居ても立っても居られなくなりました。真相はそんな生温いものではなく、彼女の身にはもっと悍ましいものの手が迫っていたなど、この時は夢にも思わずに。
 時刻はいつの間にか深夜に差し掛かろうとしていました。
 彼女は今どこにいるのだろう。酷い目に遭わされてはいないだろうか。そう思うとどうにも歯痒くて、いつの間にか部屋の中をぐるぐると歩き回っていました。
 そんなふうにしていると、ふと閃いたのです。以前読んだ小説に「車のナンバーが分かっていれば、しかるべき場所で誰でもその持ち主を調べることができる」という一文があったのを。
 すぐにここから一番近くの自動車検査登録事務所を調べると、そこまで遠くないことがわかりました。
 明日の朝一番で調べ上げよう、事件性がありそうなら警察に相談しよう。そう思いながらベッドに入りましたが、色々なことが頭をめぐって結局一睡もできませんでした。

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